パラダイム転換 | 7つの習慣を読んで

パラダイム転換



これは、「ああ、なるほど」 と違う見方・視点が見れる瞬間である。

最初のイメージに束縛されていればいるほど、その瞬間、強烈な体験をすること、

まるで頭の中に突然、光が差し込んでくるようなものを 「パラダイム転換」といいます。


これは必ず良い方向だけとはかぎりません。

ここで私もこの話を聞いたときにすごい、衝撃をうけた話を書きます。


ある日曜日の朝、地下鉄の電車の中でのことです。

 乗客はみな、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、

またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。

 そこに、一人の男性(親)が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、

それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。

 しかし、その男性(親)は隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。子供たちはといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性(親は)はそれに対して何もしようとはしなかった。

 私は苛立ちを覚えずにはいられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、

「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないでしょうか」 と言ってみた。

 彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声でこう返事した。

「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと・・・・。たった今、病院から出てきたところなんです。一時間ほど前に妻が・・・・、あの子達の母親が亡くなったものですから、いったいどうすればいいのか・・・・。子供たちも混乱しているみたいで・・・・・」

 その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。

「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか。」

一瞬にして、すべてが変わった。



これを見たとき、今までに多々、事をしらずに否定・愚痴をしてきた自分なんですが、今までその人たちや物事を、理解しようとせずに否定などしてきたのか。と考えさせられました。


みなそれぞれの視点があり、それぞれの状況があるのです。それを知りもしないで

愚痴・否定することは、小学生・中学生のようなもんだと思いました。


この例でも最初から鋭い感受性を示し、深い訳があることを見抜き、もっと早く協力の手を差し伸べる

ことができた人もいるに違いありません。


自分を大きく変化しようとして、何週間、何ヶ月、何年もの時間を費やしたとしても、物事が違って見えるときに起こる一瞬の大きな変化には比べようもないでしょう。


日常の比較的小さな変化をのぞんでいるのであれば、行動や態度に働きかけるのが適当です。

しかし、大きな変化を遂げたいのであれば、パラダイムを変えなければならないんです。