「男の始末記」作者 築波太郎

 。。。。。!七転び八起!・・・・・

・・・「有頂天と金輪際の狭間を。。。。」

 

「人生、失敗しても失敗しても

   懲りずに這い上がり、何度も

    生きることに挑戦して

  それでも、人生道に叩きつけられた

    男の始末記」

 

1)人生とは面白い。。。。。

失敗太郎の人生は、言ってみれば「失敗人生」の繰り返しだった。

しかし、それでも、これでもかと、人生に立ち向かっていった。

その道は波乱万丈だった。

始めはいいのだ、、、、アイデア、着眼点は良かった。そして、道は常に成功したかの如く進んだ。しかし、いつも、「最後の詰め」が甘かった。

何度となく、其の進んだ道が崩れて、消えてしまっていた。

失敗太郎には最大の欠点があった、、、考えてみると「良くもとれる、、、諦めがいい、未練がましくない、、、」などと。

しかし、それは裏を返せば「粘りが無い、、、我慢強さが足りない、、、いい加減な投げやりな面があった。」

その為に、今までに苦労して、積み重ねた努力も、全てを失う。

そんな繰り返しをして来た。

第三者から言われることがある。

「もう少し、粘れば、、、我慢すればいいのに、、」とか、、、

「ここまで来たのに、もったいない」とか、、

今から考えてみれば、振り返ると、、、失敗太郎もそう、思う時がある。

「最大の反省だ」しかし、時は過ぎ、もう、後戻りはできない。。。。

 

 

2)人生、最後の失敗事業、、、、

 

失敗太郎は今までに、いろいろな事業を起こしては失敗をして来た。

懲りずに、良く仕事をして来た。元来が仕事が好きだったのであるが、どこかで道に迷って、失敗道を走っていることが多い。

失敗太郎の「最後の事業」は総合建設業であり、個人事業としては「まあまあ」」であった。年商は「100億円」を超えていた。

その為に事業を起こしてから6年目だったか「国税の査察」が入った。

その当時は「いい気になっていた」失敗太郎だった。

ある朝、失敗太郎の自宅前に、黒い車が5台止まって、インタホーンを鳴らしていた。

失敗太郎は新築したばかりの自宅のインタホーンを受けながら、「監視カメラ」を除いた。

ビックリした失敗太郎だが、、、「どちら様ですか、、、」と、、」聞くと、、「国税、、、、」とか云うので、門のシャッターを開けた。

シャッターを開けると「国税査察部の、、、、」と言いながら、玄関に入って来た。

そして、国税関係の車が5台、庭に入り、門を閉めるように指示してきた。

玄関から「ぞろぞろと20人程度の捜査員」が入って来て、

「はい、、、失敗太郎さんですね、、、勝手に動かず、我々の指示に従ってください、、」

といいながら、、、質問と指示をして来た。

失敗太郎は、国税の人たちの勢いに最初は圧倒されたが、、冷静さをたもった。

内心は国税ならと、、安心していた。

経理関係は税理士に任せて、申告も納税もしていたので、、、、

しかし、国税は疑って、初めから乗り込んできたので、「金庫を開けて、、」とか、、、家の中を「仏壇」」とか「神棚」とか、」「サイドボードの中」など、いろいろなところを開けて、何かを探していた。

失敗太郎が答えた「あのな、、、自宅には仕事を持ち込まない主義なので、何もないよ、、、現金もないから、、、、どうぞ、気の済むまで探してください、、、」と、、、

失敗太郎がトイレに行くときも、家の中でちょっと、動くのにも、捜査員が一人一緒に付いてきた。

正直いって、うるさかった。

国税の捜査責任者が云って来た。

「今日は本社ビルにも国税の捜査員が30人ほど行っているし、、、九州営業所にも110人の捜査員が同時に入っているので、初めから,隠しごとをしても無駄だから、、、正直に話してください。

そして、二人の娘さんのマンションにも、行っているので、、、」というから、、、

「そうですか、、、何も悪いことをしてないので、、、どうぞ、、、」と、

言いながら対応した失敗太郎でした。

国税の捜査員の中にも親切なひとがいて、納税が、教えてくれたことがあった。

「失敗さん、、査察捜査の後に、捜査結果が出るまに、少しでも納税しておいた方が良いですよ。。。。」と、、、、

それで、失敗太郎は遅れているん税分を、翌日に振り込んだ。当時は資金もあったので、1500万だったか。

これも国税捜査員の芝居だったかも知れないが、、払うものなので、、、仕方がなかった。お陰で「脱税容疑」で逮捕されることはなかった。

しかし、調査と称して、本社資料室「約30坪」の中の、膨大な資料「契約書」等などを差し押さえられた。

約1年後に「4トン車一台」分が戻ったきた。持って行くときには整理されていた書類関係が、返還される時には「バラバラ」だった。

 

3)無からの立ち上げ。。。。

 

失敗太郎は何も無いところから、すなわち「無」」から物事を立ち上げるのが得意だった。今までの人生での各種事業も全て、「無からの出発」だった。

それが、「諦め」の早いことだったかも知れなかった。自分が「無」から作ったもの、、また、作ればいいかと、、、安易に考えていたような。。。。。。

 

「壊れたら仕方がない、、、、また、作ればいい、、、そんな面もあった。

咲くときも華やかに、、、散る時も桜吹雪の如く、、、」などと美化していたような。。。

もともとが「うぬぼれが強く」「自信過剰」そして、世の中を人を甘く見ていたような。。。

更には「自分以外は阿呆な、、、馬鹿な人間」と、、」見下していたところもあった。

仕事をする場合も、何かをするにしても「人を騙してやろうとか」「胡麻化してやろうと、、」という、そんな気持ちはサラサラなかった。

人とは違ったことや、特殊なことをして、驚かしてやろうという「茶目っ気」は大いにあった。

通常では出来ないが、」「俺なら出来る、、、」そして、「人をビックリさせる」などとのことを考えることが多かった。

人に出来ない「アイデア商品」そして「何処よりも安く売れて」と、、「早く出来る」ということを常に考えていた。

仕事している時も寝ている時も、飛行機や新幹線で移動中も、、、夢中で考えた。

そして、実行していった。

やってみて、ダメなら、また工夫するといったように、、、、、

「そんなことなので、、、「失敗もした、、」が、最終的には見つけた。

当時、誰も考えない販売方法を、、、、

それは住宅販売当時「話題の有った、というか売られ始めた太陽光発電施設」を組み合わせての販売であつた。

未だ、誰も「太陽光発電施設」をさほどに信じていないころのはなしだった。

「買取値段が1kw42円」の時代だった。

 

4)なかなか、売れない「太陽光発電施設付き住宅」。。。。

 

失敗太郎は歩いた、人に会って、説明して、売らなければ何もない、失敗太郎は生きていけなかった。

早い話が「食べれないのだ」「家族を食べさせられないのだ」

必死に歩いた。

外にでて、人に会って、営業をしなければ、、、「俺は金を拾って来なければ、生きられないのだ、、、」

雨の日も風が吹こうが「歩け,歩け、、、」と言い聞かせて歩いた。

話は聞いてくれた。。。いいことだ、、、将来は良いと思うが、、、、今はな、、、」という具合に話の段階で終わっていた。

とにかく、あるけど売れなかった、、、今はまだ早いような、、、と、、いいながら。

理屈では良いという、、、しかし、踏み出す人がなかなかいなかった。

そこで、失敗太郎は無理して、、致富新聞に公告を出した。

それこそ「小さな広告」だった。「リビングコーナー」に。。。。

一か月出し続けた、、、そして、問い合わせが入った。

「嬉しかった、、、商品が売れた時のようにうれしかった、、、」

その当時は事務所も無かった。軽自動車一台と携帯電話だけの営業だった。

そして、失敗太郎は資料を作って、その電話のあった人の自宅に通った。

熱心に説明し、説得して、何もない男の話を理解してくれて「契約」になった。

今でも思い出す、、、冬の寒い日に、失敗太郎の自宅の「車庫」に机を置いての契約だった。風の吹く、寒い日だった。

「嬉しかった、、、身一つ、軽自動車、携帯電話一つ」での始まりであった。

その後、住宅建設工務店を見つけ、太陽光発電販売会社を見つけ、何度も通って、工事依頼を頼んだ。そして、太陽光発電施設の販売会社の契約をした。

「販売手数料を決めての契約だった」

そして、全て住宅は「下請け会社」に太陽光発電は販売会社との契約で、全て、「請負い手数料」での仕事だった。

そんな仕事だったが「嬉しかった。

そして、土地も地主と交渉して、「借地」や「売買」で決めていった。

その後、そのやり方で「設置施設」を増やしていったので、、、地主とも知り合い、、紹介なども増えて、「売買土地」も増えた。

ひとつ、「モデル」を造ると楽だった。

公告で人を集めて、「現地」を見せながら、説明すると、、売れた。

 

 

5)動き出した「太陽光発電施設付き住宅」販売。。。。。「有頂天と金輪際の狭間を、、、、」

 

人の世とは不思議なものだ、、、何でもそうだが「浮き沈みがある」、、失敗太郎の場合は激しかった。

人は良く成れば「天国に登った気持ちで。。。」悪くなれば「地獄へ落ちたような感覚に陥る、、、」仏教世界で「天国よりも地獄」よりも悪い世界に行き付くことを、、、

「有頂天と金輪際」と、言うらしい。

失敗太郎は最終的には「その領域」に入ってしまったようだ。

始めは軽自動車一台、携帯電話一個から始まった「住宅兼太陽光発電施設販売」も、地道に検挙に営業をしていた。

今までにも、これでもかと「失敗」を繰り返していたので、、、今度こそはと慎重に構えたのだった。

しかし、最初の一つが出来ると、、、次々に契約注文が取れて、毎日が忙しくなっていった。

そして、自宅にプレハブで事務所を構えた、庭が広かったので、庭のっ済にささやかな事務所が出来た。

人の運とは面白い、、、契約というものは増えていった。そして、工事部門も下請けを使っていたが、見積もりをして見ると、自社で工事部門をすると、はるかに利益が出ることが分かって来た。

利益が出て来たころに、友達の親がやっていた「貸しビル」の業績が悪化して、競売にかかった。

そして、競売を落とす資金ぐらいは出来て来たので、「競売に参加」して、落札をして、身分不相応な「本社ビル」を構えた。

其のころからか、少々、鼻息が荒くなったような。。。。今思うと、「軽自動車一台」で販売をしていた当時の気持ちを何処かに置いて来たようだった。

あの気持ちを忘れずに、営業に打ち込んでいれば、、、「金輪際」は訪れなかったようだ。

営業には自信があったので、工事部門に力を入れていった。そして、工事部門を3000坪の土地を入手して、社員を増やしていった。

社員を増やせば、その業務に必要な「車両、建設機械、現場事務所、その他

諸々の道具も増えた」全て、現金で揃えた。車両や建設機械は中古であったが、失敗太郎が汗水流して稼いだ、資金を投資していった。

気が付いたら、現場社員「工事現場職人で150名」になっていた。

工事は計った、、、、太陽光発電施設は当時「1kw42円」で買い取ってくれたので、儲けはでた。

そして、販売システムが当時は「他社とは変わっていたので、日本全国から買い手が集まった。個人客、販売会社と、、、」気持ちがいい程売れた。

 

 

6)失敗太郎の販売システム、、、方法

 

失敗太郎が「住宅兼太陽光発電施設」の販売で成功したというか、売れに売れた原因は個人及び個人企業を相手に、「太陽光発電施設」を50kwから100kwの規模のものを創っていった。

販売価格は「住宅は30坪平均で1000万円そして、太陽光発電施設は50kwで2500万円、100kw施設で5000万円に設定しての販売」

実際には工事を自社ですべてを「材料」を揃えて販売したので、、、、

「50kw施設を1500万から1800万円、100kw施設を3500万円から3800万円で販売した」

その結果、、、「50kw太陽光発電30坪住宅が2500万から2800万となり、100kw太陽光発電が30坪住宅が4500万円から4800万円となる」

土地は最初のうちは「借地権付き賃貸」としていたが、、、途中から購入土地が「坪単価3万円から5万円だったので。売買代金に組み込んでいった」

それでも「頭金を300万から500万円をいれての月賦販売なので、、、旨く動いた」

失敗太郎が販売を始めた頃は「買い上げ電気料金が1kw当たり42円だったので、旨く利殖も回っていた」

3500万円の販売価格で、、、、「500万円頭金で、15年ローンでも売り上げ電気量で支払い可能であり、、、4500万円でも15年ローンで支払いが出来る」この販売方法で事業を伸ばした。

時と場合によっては「倉庫」」や「社員寮」を併設していった。

この特殊な販売法で業績を上げて、失敗太郎の「太陽光発電施設の販売は、瞬く間に知れ渡り、全国規模で売れた。

失敗太郎の太陽光発電施設の販売方法は「住宅が付いているので、ローンがくみやすかった。」

「のちに、管理体制にも寄与して、銅線の泥棒ガードにもなった。」

失敗太郎の設置した「住宅兼太陽光発電施設」は施設の「銅線泥棒」を予防したのだった。

この方法は「資金の無い失敗太郎の苦肉の策」」だった。

そして、商売は繁盛した、、、「天国にでも上った気持ち、、、”有頂天”になっていた。

 

 

7)「有頂天が続き、、、失敗太郎はいい気になってい」

 

人とはいい気なもの、、、、どうも、いい気になるような性格もあったような。。。

「住宅兼太陽光発電施設」の販売は順調であり、、、全国から業者も個人購入者も全国から集まった。

現実に工事している状況を見れば、安心して、購入者は売買契約をしていった。。

失敗太郎の会社には「1000万円の札束が、考えられないほど、入金になった。早い話が笑いが止まらなかった」

こんなことがあって良いのかと、思うほどであった。

「今日も5000万円、1億円と、現金が入り、銀行へ行くのが楽しみだった。」

其のころから、」失敗太郎は横柄になっていったようだった。

銀行へ行けば「対応」が変わり、毎日のように現金が入るので、自分でも態度が大きくなっていったようだった。

今、思うと謙虚さが無くなってしまったような。。。。最初の契約の日、寒い冬の風が吹く、自宅の車庫での契約を、、、、軽自動車一台で動き回った営業のひもじさを、、、携帯電話一つで対応していた日々を、失敗太郎は何処かに忘れてきたような。。。。

人間とは悲しいものだ、、、その心を、気構えを維持していれば、この先の地獄を見ることは無かった筈だ。「金輪際」という言葉を嫌というほど知らされた。

人は良い時ほど、「身をひき閉めて」「ふんどしを締め直して」、、、ことに当たらなけらばならない、、、、其れお怠った失敗太郎は惨めだった。

気が付いた時には「すでに遅く。。。」「後のの祭り」であった。

社員が最終的には一人で始めた商いが「200人の社員」になった規模の会社を「無」にしてしまった。

 

 

8)「金輪際」に陥った地獄道への入り口。。。

 

「金輪際、、1」金輪際は地獄より下の悪いこと。。。

 

人の世界には「天国、地獄がある様に」其れよりもも良いことが「有頂天」という、、、其れよりも悪いことを「金輪際」という、、、、

例えば、、、「金輪際、、、会いたくないとか、、金輪際、、、もう来るな、金などかすか、、、」という風に、最後通告の意味があるような、、、、最悪な言葉。

 

失敗太郎の失敗人生の始まりは、、、事業を拡大し過ぎて、、、自分の手では収まらなくなったことであった。

始めは事務所も無く、車庫などで契約を始めたのであったが、、、失敗太郎は努力もしたが、、それ以上に「運」に恵まれて、金が入り過ぎたのだった。

自分でも予期しないほどに、思いがけないほどに売り上げが上がった上に、、気持ちも大きく成り「うぬぼれ」が膨れ上がって、宙に舞ってしなったにであった。

自分の仕事には自信もあり、誇りもあった。その上に「実」が実り、、己の道に花が咲いたように見えてしまったのであった。

それは失敗太郎から見れば、きれいな大きな「バラの花」であったのであるが、、、

「櫻の花」」だったような、、、華やかに咲いた桜の華、、、そして、見事にさくら吹雪となって散ったのだった。

営業は新聞広告で客を集めるために、全国版に「大々的に」個人客や販売業者が全国から集まって来た。

「住宅兼太陽光発電施設」は売れた。工事が間に合わないほどだった。

失敗太郎もほどほどにやればいいものを、欲張って、能力以上の仕事をつだった。

それが失敗の道への入り口だった。

 

 

8)「金輪際、、2」

 

失敗太郎は契約も増え、工事現場を拡大していった。資金力にものを言わせて、「九州地方、京都地区、和歌山県地区、三重県地区」と全国に広げた。