英領ケープ植民地と明治30年代の日本は当然、盛んな官民交流があったわけでもありませんでしたので、当時の喜望峰から出すレターの宛て先としては、極東にある日本という国はかなり辺鄙なところという位置づけでした。
画像はかなり以前に購入したもので、1905年8月23日に MOWBRAY局から差し立てられ、約2か月の船旅を経て同年10月19日に横浜に到着した書留書状です。
喜望峰から横浜宛て書留カバーなどそれまで見たこともなく、このようなマテリアルが存在することも想像だにしていませんでした。
今日でもなお貴重な使用例であるといえ、郵便史的にも興味深いアイテムです。