現代社会は「合理的」、「合理性」を求める傾向にあるが、これは「属人主義」の考え方であり、多分に弊害を齎すのです。
個人の欲望を満たしても、全体の幸せには繋がらないのです。
人の猿知恵、欲望の帰結する考え方であります。
日本国も戦前から、当に国策の如くこの手法が取り入れられてきました。
簡単に述べれば、無駄なもの、否、人が勝手に無駄だと思ったものを削除する理論。
その結果が資本を持つ者と持たざる者の二極化が進み、社会全体としては生きづらい世界となっていったのです。
国鉄の民営化、電電公社の民営化、郵政の民営化など。
更には大店法の廃止により、地域の経済や小売店は廃業を強いられたのです。
所謂「シャター商店街」
個人商店が軒並み潰れていったのです。
地域コミュニティの崩壊です。
(西友、イトーヨーカドー、ダイエー、ライフ、イオン等の大規模商業施設によって、商品の多様化と価格の廉価が続いたのです。
消費者にとっては良くても、社会全体にとってはマイナスでした。
物作りが日本を世界第二の経済大国に押し上げたのに、合理化政策(?)のために世界の三流国家へと転落してしまいました。
物(食品、日用雑貨、衣服、住宅、車など)が安くなれば、当然原価を下げなければならりません。
手っ取り早いのが「人件費」の削減であります。)
それまでは、豆腐屋の子供が大学に進学できていました。
タバコ屋や魚屋、八百屋、肉屋、床屋等の個人事業主がゴルフの会員権を持ち子息は大学に行き、普通に生活出来ていたのです。
合理化の流れに乗って始まったものが、経費削減であり、賃金の抑制(減額)と、女性の労働(社会進出)でありました。
これにより地域のコミュニティは、ほぼ崩壊したのです。
今までお店をしていた者が、明日から大型商業施設(スーパー)で働くのです。
それ以前は、旦那の給料(勤め人)が5〜700万円の世帯が当たり前でした。
親父一人の働きで家族を養っていたのです!!
管理職なら1,000万円、当たり前でした。
退職金も3,000万円はありました。
国鉄時代は乗車料金も安く、電話も3分十円でした(確か距離により課金されなかったと思う)、郵便局の定期預金は年利5%以上だったと思います。
お役所様々で、社会は潤っていたのです。
公共事業様々でした。
国民が皆希望をもっていました。
活力(元気)がありました。
然し合理化のスキームは、こうしたものを全てブチ壊してしまいました。
経費削減!経費削減とTVやマスコミ、野党が連呼して。
公共事業を減らせ、民営化しろと五月蠅いったらありゃしない。
そして、こうした合理化によって将来に何の希望も持てない世代が出来上がってしまったのです。
これこそが合理化の弊害です 。
…
かたや論理的思考、論理性とは何か?
筋道を立てて考えることを云います。
物事の道理というものが根底にありました。
其処には、目先のことしか考えないような人の猿知恵はないのです。
例えれば、「道路を作るためにできるだけコストの少ない場所を選ぶとする。
工期も資材も抑え完成した。
然し十年後、その道路の架かる地域の河川の水量が減少し、周りの農作物に影響が出た」
そのため今まで使っていた肥料や灌漑を新たに作るなど、余分な費用がかかり、彼らの利益率は減少しました。
また、「広大な土地を開発して、分譲住宅建設を始めるために、廉価で規制のない土地を選んで建築したとする。
然しその土地を切り崩したり、盛り土をして、樹木を伐採したりしたことが、土地の保水力や地盤に影響を与え、あるときの台風で地盤が崩れ多数の家が崩壊した」とか。
私達が被った一番の被害は、河川の水質汚染であります。
「水俣病」、「イタイイタイ病」などコスト削減の最もたるものです。
廃棄物排水を河川に垂れ流していたのです。
きちんとやっておけば大事にならずに済んだのに、目先のことしか考えてないからこうした大惨事になったのです。
河川に流す排水の浄化設備に投資をしていたなら、その後何十年間にわたり被害者に行った補償額に較べたら微々たるものだったのに?
目先の利益ばかりを考える「合理的思考」と、それによる数多の影響を考える「論理的思考」とは、全く異なるものであるのです。
猿知恵🐒
と
叡智
の違いです。