少しばかり真面目な話!
一般的に云われている「霊魂」と云う言葉(概念)は、随神(かんながら)の世界では全く違った解釈がされているのです。
多分に人々は「魂」の方が「霊」より身近に感じられ、自分の心の本質の様に思っているものと思われますが、魂とは肉体の発生とともに顕れるものであり、死後それは徐々に消滅してしまうものなのです。
我々人間の本質は、「魂」ではなく「霊」にあるのです。
真の「私(自己)」は霊にあると云うことなのです。
随神では、永遠不滅の真の自分とは「直毘霊(なをひ)」、即ち「大直毘霊(おおなをひ)」の分霊であると明確に定義しています。
随神の教えでは、それを「一霊四魂」として詳しく解説しています。
この世界は「霊主体従」の法則により出来ています。
大直毘霊=霊は何かと云えば、この世界を作った原理であります。
随神では大直毘霊を「太元霊(たいげんれい)」とか「神」、「理(ことわり)」呼んでいます。
またの名を「天之御中主神」と云い、すべての事象の発生はここから始まったとされます。
霊的な力である想念体が物質(現象)世界を作ったと云われております。
その力は当にDNAの如く物質を作り、物質に様々な形態を作るために指示する働きを成すのです。
此処までが「霊」の働きなのです。
かたや魂は、物質(形態)が出来たと同時に発生するものであり、物質の崩壊とともに徐々に消滅してしまうものなのです。
死後、消滅までの一定期間存在している想念体を「残留思念」と云い、それが幽霊や心霊スポットなどとして現れてくるのです。
魂とは、大きく分けると四つに分類できます。
一つは荒御魂(あらみたま)と云う肉体を形成し、維持崩壊する力であります。
次に和御魂(にぎみたま)と云う自己を認識する、自我と云う仮の意識であります。
更に感情を司る幸御魂(さきみたま)。
知性と欲望の働きである奇御魂(くしみたま)があり、それらを合わせて「四魂(しこん)」と定義しています。
我々は、今ここに存在している自分と云うものが真実の実在であると認識しておりますが、この肉体と脳髄と四魂の働きで一時的にそれを唯一無二の自分であると錯覚しているに過ぎないのです。
随神では、永遠に存在し続ける自己と云うものは「一霊」=「直毘霊」であると定義しています。
この直毘霊が、死と再生を繰り返しながら浄化向上の理を成しているのです。
睡眠時に意識が無いように、死後も同様です。
我々は何度も生まれ変わっているにもかかわらず、過去世の記憶が無いのは、生前の自己意識である和御魂の意識(自分と思っている仮の意識)は、死後に消滅するため、新たなる人生に生まれ変わっても、前世や過去世の記憶が殆ど無いのです。
我々が生きている期間に変性意識を獲得できれば、今回の人生の記憶はそのまま受け継がれていくのです。
私の師匠(故人)や仲間達、お会いしてきた人の中に何人も自分の本当の過去世(なんちゃって過去世ではありません)の記憶を持った方がいるから、真実に他なりません。
霊こそが普遍の自己意識である「真我」なのです。
但し、ここで厄介なことは魂の〇〇は〇〇なので、新たなる人生(肉体や精神や境遇)に影響を齎すのです。
今生の真の目的が分かれば道が開けてくるものです。