神の霊光を「愛(かなし)」といいます。

 

神の霊光の中には『愛の光』が存在しているのです。

 

天地万物に及ぼす愛心(まなこころ)が我が心と重なり天地万物と同化する。

 

天地万物が神の愛によって成れることが解れば人は相愛の生活が可能となるのです。

 

この相愛の生活こそが神への献身の第一歩となるのです。

 

それは他人を愛せることであり、自己の主観で『善悪』、『嫌悪』、『優劣』の価値判断を付けない心こそが神の愛心に近づくことなのです。

 

神を愛するとは、神の定めた『法則』、『秩序』、『掟』、『命のあり方』に従順となり相愛の道を行ずることなのです。

 

それには『滅私』と『分別心』を育むことが出来て初めて可能となるのです。

 

随神には『御鏡御拝(自霊拝)』と云う鎮魂法があります。

 

『自霊拝』とは、自霊を鏡とし神の霊光を受け止めることにあります。

 

自霊は神の愛智を我がものとすることにあるのです。

 

そして人は、神なくして生きられないという真実を知ることとなります。