4月23日(日) 

本日は、統一地方選挙の投票日であります。


昨晩までスピーカーを鳴らしながら立候補者が自らの名前を叫んでいたが、彼らからは何も伝わって来ないし、何にも見えてこない。


この人達が当選しても国は何も変わらないことが分かっているからかもしれない。


それでも「左翼」共産党と「創価」公明党は少なからずも元気があるが。


ここ何回かの選挙から聞こえてくるものは、全く何〜んも無いのです。


白けた無関心なオーラが漂うだけであります。


いま日本人の殆どは、政治に、日本に興味がなくなってきていると思います。


それは、与党も野党も国民(くにたみ)のために何もしていないし。


官僚も動かない。


人(国民)と政治(まつりごと)か乖離してしまっているのです。


殆どの国民は、今の政府などまるっきり信じていないのです。


国民が国家を信じられなくなれば、国が衰退していくことは火を見るよりも明らかなことであります。


ふと思った事であるが、この状態は当に幕末の日本と似ているような気がするのです。


日本の国土と人民を狙う(奴隷化)、西洋や米国の覇権主義に対して何ら手も打てずにいる幕府の態度に、庶民は危機感を持ち、庶民の大半は徳川幕府から心が離れていったのです。


こうしたときに復古の気風がどこからから吹いてきたのでしょう。


1800年初頭に、日本の沿岸には外国の船艦が頻繁に渡来するようになった。


そして遂に米国は、幕府に開国を迫り1858年、「孝明天皇」の許可を得ず独断で「日米修好通商条約」を結んだ事により幕府への批判が高まり、天皇を尊ぶ「尊王」論と、外国勢力を追い払う「攘夷」論が結び付き、活発な尊王攘夷運動へと展開していったのです。


平和ボケして國體を論じてこなかった幕府を尻目に、外圧に危機感を感じた在野の人(庶民や下級武士、国学者)達が、日本の将来を憂いて立ち上がったのです、それも自らの「命」をかけての行動であります。


維新達成の裏には、熱き日本人の遺伝子と「愛心(まなごころ)」があったのです。


然しながら、昨今の日本人の心の中に、「愛国心」や「自己犠牲」の精神が如何ほど残っているだろうか?


そして「熊沢蕃山」や「吉田松陰」の様な人物が居るのだろうか?


答えは「NO」です!


滅びます!


敢えて言います。


選挙に行っても何も変わらない


「か わ ら な い」❇(滝川クリステル調に)



熊沢蕃山

「うきことの猶この上に積もれかし 限りある身の力ためさん!」