今では当たり前となった「葬式」ですが、なんでこのような風習が日本に根付いたのでしょうか?
それは仏教由来であります。
それを葬式仏教と云います。
故人を惜しみ、故人と生前に繋がりがあった人達の最後の集い、その故人との思い出を語る場なのですか?
生きているうちにお互いが未練など残さない様な親交を深めていればよかったのに、死んでから「惜しい人を亡くした」とか「もう一度会って話がしたかった」だとか「無二の親友だった」とか「悔やまれる」等の言葉を耳にするが、この肉体が死んでしまえば、現世(肉体)と幽世(霊体)は全く異なる世界の住人となるため、どうしようもできないことなのです。
死んだら遺骸は単なる物です。
タンパク質の塊です。
そのまま放置しておけば異臭を放ち腐っていくだけの物です。
そんな物を何時までも未練がましく思っていては、故人自身も上がることはできません。
然し今の日本では、故人の遺体を火葬場で焼却し、墓に埋葬し骨壷という容器に遺骨を詰め込んで、先祖代々の墓石の下にそれを収め供養したつもりになっているのです!
只の人の未練でしかありません。
一つの区切りをつけるための行事としてはあり得ないことでもありませんが、故人の死を悔やんでも致し方ありません。
これを「未練」、「執着」と云うのです。
元々日本には墓なるものはありませんでした。
何故?
人は死んだら転生するものと信じられていたからです。
故人との思いでなどさっさと忘れて御霊だけをお祀りしたものです。
それは、一日も早く現世での執着や未練を忘れ、浄化向上して、新たな命として転生してくださいと祈ることだけなのです。