モノを包んでいるものを「カイ」と呼び、貝や籾などの殻のあるもの、卵は古く『鶯のかひこの中のほととぎす』などと「カヒ」、「カイコ」と呼ばれていた。

 

密閉しているこれ等の物に、外から這入ってくるものをタマと呼んだ。

 

そのタマが、カヒの殻を破って出現することを「アル(顕れる・現れる)」の状態と云い、カヒの中に這入ってくるのが「ナル(生る・成る)」の力の働きであります。

 

外からやってくるこの威力あるものを、それがある期間、もの(カイ)の中に入って籠り、やがて出現することで、初めてこの世界の形や姿を整える一つの存在として出現出来るのです。

 

この様な過程を踏んで、モノ(物・者)がこの世に現れ産まれてくるといった、日本独特の考え方がありました。

 

今ではそうしたことを伝える人も少なくなりました。

 

他の世界から因り来て、この世界の中の一つの姿になるまで、何かの物の中に入らねばならなかったのであります。

 

 

このことを人間誕生の例から説明すると!

 

「神」=「大直毘霊」=「宇宙原理」の中から

 

「直毘霊」=「一霊」が分離して

 

「現世」=「地上世界」の人間の女性の子宮の中にある、受精した卵細胞の中に這入って来るのです。

 

そして10月10日を待って、この子宮内の閉じた空間で「一霊」と「四魂」と「肉体」が同化することで、人間として誕生するのです。

 

このことから、人の本質は一霊(直毘霊)であることが理解できるものと思います。

 

我々は日常生活で知覚している意識を『私』と呼んでいますが、それはあくまでも四魂の和魂霊の作用にすぎません。

 

本当の自分に気が付くことがこの世に生を受けた目的の一つであることを、殆どの人は気付かないまま人生を送っていくのです。