家筋に祟る怨霊は厄介であって、何ら関係のない子孫にまで祟るのです。

 

日本人の『家』にまつわる話にはこの手の話が非常に多く、また根深いのです。

 

わが国には少し前まで『縁坐法(えんざほう)』というものがありました。

 

これは、どのようなものかと言えば、殺人を犯した者や、放火や人さらいなどの犯罪を犯した者が捕まり裁き(死罪)を受けると?

 

これで御終いと思うのが普通だが、当時はこの者の親族が連罪となるのであります。

 

即ち、親や連れ合いや、はたまた兄弟子供までが同様に罪を償う仕来りなのです。

 

 

 

元禄四年、出羽米沢に結婚前の侍の娘がいた。その娘がその家の下人の男と恋に陥り心中したのである。

 

この下人は主人殺しの罪に問われ、その死骸は磔に晒されて、その後下人の父と兄が死罪に問われたのである。

 

今では考えられない様なひどい法律だが、こうした法律ができた背景には日本の『家』とか『一門」とかの考え方が深く根差していたからに他ならないのです。

 

 

 

 

『太平百物語』という話がある。

 

代々裕福な武家の主人が、召使の『竹』という娘を罪がないのに苛め抜いて罪に落としてなぶり殺しにしてしまったのである。

 

この時、死の間際に竹は『この怨みはこの家のあらん限りの人間に祟ってやる』と言ってこと切れたのでした。

 

その後、竹の死霊が主人に祟り、暫らく苦しんだ後亡くなった。

 

その後の『観勇』という跡取り息子が同じように苦しんで死んだ。

 

死の間際に一子『小左衛門』に語った。

 

『私は、常に神仏を祈りこの親の犯した災いから逃れようとした。ついに自分は命を失うことになるが、夢々お前はこの家を相続して神仏を信じて、貧しいものに施しを与えこの災いを逃れよ』と言ってこと切れたのです。

 

その後小左衛門は、父の一周忌も済んだ頃、縁側で寛いでいると壁から血が滴っているので、不思議と思ってすぐに拭き取った。


翌日、今度は居間の畳から血が滲み出てきているのである。

 

小左衛門は手に負えないので、家来の者を呼んでその地を拭うよう言った。

 

然し家来は怪訝な顔をして、血など流れていないその場所を指して主に言いました。

 

すると小左衛門は、腹を立てて『この血が見えないのか』と怒鳴るので、家来は仕方なくその場所を拭ったのであります。

 

このようなことが続き、家来は一人、二人と主のもとを去り、遂に小左衛門一人きりとなりました。

 

その後も小左衛門は家の中に血の滴る幻に悩まされて、最後は食べるものまで血で染まり、食べることさえできなくなって衰弱して亡くなってしまいました。

 

たたりもっけの話の中心は、女性を罪に陥れて殺してしまったことから、その無実の罪に陥れた者への復讐(祟り)である。

 

たたりもっけとは、非業の死を迎えた者たちが、その原因を作った者を祟るのだが、その祟りを畏れた人々が、それを祀り敬うことで信仰となっていき、遂には縋る者に幸いを授けるようになったのであります。

 

このような事は、古代の『御霊信仰』の発生と意味を同じくする考えであります。

 

敵に回せば恐ろしいが、味方になればこれほど頼もしいものはないということです。

 

家に憑く怨霊『たりもっけ』の話でした。