手塚治虫のマンガ『どろろ』について語る。

ストーリー→ 戦乱の続く室町時代末期、百鬼丸の父親『醍醐景光』という武将が魔物達とある契約を結んだ。
『魔物達よこの戦国の世の天下をとるために私に力を与えたまへ』、『その見返りとして、魔物達よ生まれてくる我が子の体を与えよう』と

そして景光は武将として戦国の世にでていくわけだが、暫くして産まれた我が子の肉体は人の形の無い肉の塊のような赤子であった!

この子を篭に入れ河に流し捨てた。……

この赤子は、肉体の48箇所の欠損があり医者の『寿海』という者に拾われ育てられていく。この子が『百鬼丸』と言うこの物語の主人公である。不具の体にカラクリで手足をつけ自分の背負った『業』をしょって生きていく。

14才に成った百鬼丸は不思議な声に導かれ失われた48箇所の体を取り戻すため魔物と戦っていくと言う物語である。

以上

この物語は、醍醐景光と魔物(神霊)達が契約を結すび、魔物は景光の願いを聞く代わりに、景光は自分の大切なものを魔物たちに捧げることで成立したのだ。

その結界、百鬼丸は不具者として生まれてきただけのことである。即ち契約の証なのだ。

そして、景光は天下人として成り上がっていくのだ。
父景光と魔物の間の契約は成就したかに見えた!

そんな時、百鬼丸はこの魔物達をさがして倒していく。奪われた自分の身体を取り戻すために。

これは父醍醐景光と魔物たちにとの契約を破棄するおこないであり、百鬼丸の行動は許されざる行為と言えよう。

【考証】
この物語を属人主義に考えれば百鬼丸の行動を応援賞賛すると思うのだか、事柄主義に捉えれば、全く道理を無視した行為として批判的に捉えられるだろう!

人情やヒューマニズムで考えれば百鬼丸は正しく、契約について論理的に考えれば醍醐景光が正しいのだ!

神事や神霊との契約はその内容を守る事が絶対であると言うことである。
破ることは即ち死を意味するのである。