めーそー ② | ヘタレ世界一周旅行記

めーそー ②


※ネタバレあり。
 これからヴィパッサナに参加される方は、
 偏った先入観を与えてしまうと思うので
 読まない方が良いかもしれません。

 あくまで私自身の感想、体験談であることをご理解下さい。






前回の記事の続きです。

めーそー






はたして俺は…









悟りを開けたのか。
























えー





結果から申し上げます。





































一切開けませんでした(・∀・)









はは、たった10日間で悟ることなど、


僕には出来るはずがありませんでしたわw ムリムリ






ただその悟りへの道が、


遠くとぉぉぉぉぉぉぉぉぉく、

長いなっっっっっっっっっがい道のりであるというということだけは
なんとなく解りました。



それを"なんとなく"解っただけでも大きな学び。





しかもそれだけではありません。


他にも多くの学びがあったのです。







1日目、


いかに自分の心が

過去や未来にとらわれ、"今、この瞬間"に留めておくことができていないか。

ということを学びました。





2日目、


いかに自分の心が

怒りや憎しみ、悲しみ、欲望でいっぱいであるか。

ということに気づきました。





3日目、


瞑想に集中できない自分にイライラしてきました。


その理由は"らーめん"でした。


瞑想中、何度も何度も

柏駅南口より徒歩5分「らーめん誉」の「つけ麺黒」が頭を過ぎります。

舌もあの味を記憶しています。

鼻もあの香りを記憶しています。
瞼の裏にも高画質で画像が保存されています。
いえ、むしろ動画で保存されているのです。

あんなに大好きだったつけ麺黒が、

今、こんなにも私の首を絞めつけるとは。



食べたい…食べたい…早く日本に帰りたい…。




そんなことを考えているうちに、

あっという間に午前中の瞑想時間は終わってしまいました。


嗚呼、俺はブッダガヤの瞑想センターにまで来て何を考えているのだろう…。



そう悔みながら、

いつものように少なめの食事を、
瞑想中に引き続きらーめんのことを考えつつ、
食べていた時でした。


私はある偉大な"気づき"に辿りついたのです。




「ラーメン大盛りの必要はない。

チャーシューメンも必要はない。
全部のせはまぁアリで、
麺10玉を20分で食べ切れたら無料!
のチャレンジメニューは大いにアリである。」



と。




ちなみに、

この"気づき"に辿りつくまでの思考過程は
あまりに長いので割愛させていただきます。


らーめんが好き過ぎる私にとっては

偉大すぎる気づきでした。

"悟り"と言っても良いくらいの気づきです。


この悟りに近い"気づき"は

後世に伝えていかなければと強く誓ったのでありました。




4日目、


人を傷つけるということは、自分を傷つけるということであり、

人を愛するということは、自分を愛するということ。

自分を傷つけるということは、人を傷つけるということであり、
自分を愛するということは、人を愛するということ。



以前聞いたことがあるような言葉が蘇り、

その意味をもう一歩踏み込んで理解することができました。




5日目、


あなたの人生は素晴らしい。

私の人生なんてカスみたいなもんです。

気づかない間にそのように生きていたことに気づき、



あなたの人生は素晴らしい。

私の人生もまた素晴らしい。

そう思えるようになりました。





6日目、


この日の午後、私は初めての感覚に陥りました。



いつも以上に集中できた瞑想。


体感時間50分を越えたあたりでしょうか。





突然身体が真っ二つに割れ、左半分だけが後ろに倒れたのです。




なんじゃこりゃ( ̄□ ̄;)




どうして良いのかわからず、ただただ圧倒されているばかり。


しかし、感覚としてはものすごい気持ちが良い。


全身が満足感、安心感、開放感で満たされている。


ドーパミンがブリブリ出ているような気がしました。







これが…






酒も薬も使わずにブッ飛ぶということなのか…






真相は解らぬまま


本当にドーパミンが出ていたのかも不確かなまま


夜は暗く暗く。


三日月は高く高く。






7日目、


常に答えや正解を探し、それを見つけると安心し、

それが見つからないと

今度は間違いや不正解を探し始め、それを見つけるとまた安心する。

という自分の心の動きに気づきました。



しかし、仏陀の説く

「全ての真実は全て自分の心の中にある」
という言葉にハッとさせられ、

やはり目の前で起きている

正解、不正解、良いこと、悪いことは全て
自分の行動、言動、考え方によって映し出されているものである。
ということを改めて学ぶことができました。



また、この日は


あるはずのない座イスが突如現れ、いくら後ろに体重をかけても

その座イスがあるおかげで倒れない、という感覚や

首が30mくらい伸びて、

自分の首から下の身体がだいぶ遠くにあるような感覚を覚えました。

どちらも奇妙な感覚ですが、とても気持ちの良いものでした。





ドーパミン…





出てるのでしょうか…。





8日目、


私は欲しました。


「あの気持ちの良い感覚をもう一度味わいたい」



しかし、欲すれば欲するほど、

あの気持ちの良い感覚と言うのは遠ざかってゆきました。


そして


「はぁ。今回はあの感覚を得ることができなかった。

 なんでだ。なんでなんだよ。畜生。畜生!」

そうやってイライラしていました。




そんな私に仏陀は説きます。


「そうやって渇望するから、

 手に入らなかった時に苦しむのですよ」

と。





9日目、


「あと2日だ!」と思い、集中力が途切れてしまいました。




ここに来て


"終わりが見えるとダレる"


という自分の甘い部分が出てきました。


自分の弱い部分に気づくというのはステキなことです。

今後、その部分に気を付けて生きてゆけるわけですから。

あー良かった。



そんな楽観的な考えをしていたところ、

午後の瞑想はやたらリラックスして臨むことができました。

すると


首から下が消え、頭はゆっくり膨張し、風船のように割れ、

あたりが真っ白になりました。

その瞬間、私はこの世に居るようで居ないような感覚。





有るでもなく


無いでもない


空である。








ドーパミン









出てると言っていいでしょう。





10日目、


この、誰ともしゃべってはいけない9日間、

自分の心の中の汚いもの、怒り、憎しみ、悲しみ、欲望

そういったものと向き合ってきました。



本当は誰かに相談したいところ。


しかし誰ともしゃべってはいけないから、

相談相手はいつも自分自身。


その汚いものがどこから来ているのか

自分自身と話し合ったところ、

それは、ほとんどの場合、

人との間に出来るのではないかと。

そんな結論が出たのでした。





そして本日10日目、


「人としゃべってはいけない」

「人と目を合わせてはいけない」

解禁。



人としゃべるということはこんなにも幸せなことである


ということを実感しました。



ただ人としゃべるだけで、

一人で抱え込んでいた汚いものが、溶け出ていくような感じがしました。

さらにその自分の汚い部分を人に話せば、

その人がそれを分解してくれるのです。





人は人によって傷つき、その傷を癒すのもまた人である。






そんなことを感じたのでありました。




同時に今まで私の周りにいた人のことを思い出しました。



好きな人、嫌いな人


傷つけた人、傷つけられた人


愛してくれた人、愛した人


旅で出会った人、旅先で別れた人


生きている人、亡くなった人…



それらすべてが一本の糸で繋がれた数珠のように

ひとつの連なった形となって、私の心に在るということに気づきました。



自動的に脳内で

小田和正さんの「言葉にできない」が再生。



涙腺のバルブがバカになるのでした。




「あなたに会えて本当に良かった。」


これを本気で思えたこと、今まで生きてきて何回あったでしょう。




「あなたに会えて本当に良かった」という気持ちが、

今のこの気持ちであるならば、

「あなたに会えて本当に良かった」と本気で思ったことは

今までなかったのかもしれません。









これにて10日間のヴィパッサナ瞑想は終了。




本来、ヴィパッサナって

こういった学びを目的とした瞑想ではないのかもしれないのですが、

ここで学んだことはこれからの人生にとって、本当に大切なものばかりでした。


ここに書いたことの他にも、まだまだまだまだ沢山の学びがありました。





でも良く思い出してみると…











それらの学んだことって、

以前仏教の本で読んだことあることばかりなのよね(・∀・;)



やっぱ本読んで言葉を頭に記憶するだけじゃダメなのね。

こうやって実践を通して学んでいかないと。


って、↑これさえ仏陀のお言葉なのですw


そうそう、この記事に書かれていることって

ほとんど仏陀のお言葉を噛み砕いて書かせていただいているものなのよ。






「お、ケニアのヤツ、なかなか素敵なこと学んできたじゃんか!」






なんてノンノノン
┐(´ー`)┌




ただの引用、及び噛み砕き集でございます。


しかも私独自の解釈ですので

間違ってる部分たくさんあるかもね( ´艸`)ピヤーン












しかし!!







これだけは私オリジナルの学びであります。









「ラーメン大盛りの必要はない。

チャーシューメンも必要はない。
全部のせはまぁアリで、
麺10玉を20分で食べ切れたら無料!
のチャレンジメニューは大いにアリである。」







毎日、朝昼晩一回ずつ

自分の一番好きならーめん屋の方角に向かって
この言葉を三回唱えなさい。






その先にあるは誠の安らぎと仏の頬笑み。






唱えなさい。


唱えなさい。

唱えなさい。







日本らーめん教

教祖ケニア。


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