mink@SM and Izumin | みんく@Beyond the Pain。

みんく@Beyond the Pain。

痛いことが好きなだけ。

昨日は数ヶ月ぶり?にいずみん、もとい、泉屋オパパと電話。

最近ちょっと方向性を見失っていたみんくにしてみると

ナイスタイミングーな気がする。


かの、マルキド・サドについて熱弁をふるう男の首をしめた際

SM論的なものになっていたんだけれど

サディズムについてあつーく語るこの男に



『ガチのサディストてねぇ。私生活もあのまんまだから。

うっかりしてると階段から突き落とされそうになったりさー

沸点が低いのか、いきなり焼き鳥の串刺されたりさー

縛ってエロしたい程度の人間なんて、ただのおっさんだから心配せんでいいよ。』

と告げた。



『例えば、本当はさ、ネクロな趣味があったとしても実現しないのよ。

それやっちゃうと、殺人・死体損壊・死体遺棄とかさ、どんどん罪名増えるっしょw

てなると、ニアリーなものを実現することでしか、性欲は解決しないのよ。

だから、その大義名分としてSMがあるわけでさ。

そんな本だの説明書だの読んだところで

SMはリアルにしかないのよ

頭の中では、腕の一本ぐらい、あたしも飛ばしてるし

まして、死体ごっこでハァハァしないわな。笑』

と。



『だってさ、究極のサディズムって猟奇殺人でしょ?

逆は、死体願望なわけだし。

ここが合致するから、Sとなり、Mとなるわけでさ。

本来の意味での、SだのMだのっていうのを持ってる人間、そーんなに居やしないよ。

そうね、とある分析によると1000人に2,3人、いるか、いないか・・らしいしさ。

両方持ってるのをサドマゾというんだけど

チカチーロは極端な例にしても、つまりはあぁいうことだと思うんだよね。』



なんだかんだいいながら、SM論を語ってるじゃねぇかwww

どうもすいません。




ちなみに、精神的被虐という言葉があるんだけれど

これもあながちSMから外す必要はない。

なぜなら、精神的な苦痛を受けた際

感受する部分は、物理的な痛みを受ける部分と同じだからだ。



あたしってかわいそう。

だとか、

いつまでも浮気に苦しむ可哀想なあたし

だとか

酷いもの言いをする男に、いつまでもくっつく女。

というのは

ある意味で、マゾ体質であるのは否めない。

肉体的な苦痛≒精神的苦痛と捉えることが出来るからね。



DV男とイネブラーの女。

これは裏を返せば、S男とM女の関係と同といっても過言ではない。

否定する人間は多いけれど

それは、どこかでSMは崇高なものなのだ!という暗示にかかっていると思う。

SMなんぞクソみたいな性癖で、屑が興じる遊びなのだ。笑

キチガ●の宴とでもいうべきか。



この関係を熟知した上で、なお、それでも相手を求めるからこそ

なんだかゾクゾクする部分もある。

一歩間違えば、

『言い訳が見ものだわ、今さら何を言いっても 遺言だけど』

の世界なのだ笑

だからこそ、御互いに自律しなければいけない。という姿勢に立つことも出来る。

相手の闇につきあうなら、自分の闇も知らねばならないと、常にみんくは思う。



んま。ただ、みんくの場合

精神的なそれは全く好まないですし

SM以外の暴力っていうのは、やっぱりよくないと思うのだ。

肉体的な暴力であろうが、言葉の暴力であろうが。




という紆余曲折もあり、今のみんくがあるわけだ。



SM的スタイルが一切変化していないか?と問われると

おそらくそれはNoな部分もあるだろう。

ノーセックスではあったんだけれど

ボッコボコにしばかれた後なら、全然それは構わないわけだし。

とはいっても・・・その部分ぐらいかもしれぬ笑

SMつったらやっぱり、鞭がー針がー流血がーグーパンがーとか思ってしまう笑

苦痛なきSMはただのエロ。なのだ。



ただそれは、みんくを構築する細胞の一つ一つに刻み込まれた呪のようなもので

たまにひょっこり顔をだしては

街一番のサディストいねぇかなーと思わせる。

完全に病気なのである笑




ここまで書くと

さも、それはそれは素晴らしいSM話を

かの、泉屋オパパとしたかのように思われそうなんだけれど




んな、わきゃーない(キッパリ

つづく。