おはようございます。
国防予算を計上するというのは
戦争を準備するから云々と言いますが
もちろん国防に必要なのですけども
兵器を作っている海外諸国のメーカーに
日本の富を支払うことを意味するわけで
その企業は日本にはないし
日本人労働者もほぼいないでしょうし
日本に納税することもないので
兵器だけに金をたくさん使って
どうやって国を豊かにするのだろう
と、ふと不思議に思ったよしけんです。
#まずは自衛隊の処遇改善をぜひ
#単純な反戦意向は話にならん
さて、今朝は。
姥捨山になる前に、という話を。
アルジャーノンに花束を、という
美しくも悲しい小説が、
まさに成長と老いについて
ドラスティックに取り上げてると
僕は解釈していますが
人というのは、どこかで引退し
動けなくなり、死んでしまいます。
これを書いている僕も、
読んでいる方も、
あと100年後は皆、
一旦物理的な肉体との
お別れが来るでしょう。
この世にこの体を借りて
生まれ落ちた時点で、
この命と器は、
いずれお返しすることは宿命であり
絶対に不可避なものです。
そこで考えるのは、生き様と
去り際の美学であり、
自分の命のリレーを
誰にどうやって届けていくべきなのか
ということです。
日本のメインの産業が農業で
自然の力にもっと翻弄されていた
150年ほど前までの僕らは、
生きる=作物を実らせ、食べること
という方程式が明確に成り立ち
それを誰一人と疑いませんでした。
それ以外の仕事に就く人は
自分たちの「日常」を守ってくれる人
だからこそ、
御恩と奉公、物々交換よろしく
労働とコメを交換していたわけです。
*めっちゃ単純化して書いてますので
細かいツッコミは覚悟します
で、何が言いたいのかというと
自分の潮時を鑑みた上で、
自分の命を次の世代に繋げる覚悟を
年長者から持たないといけないわけで
昔ならば、動けない人は
価値を生み出せないため
口減らしのために、と犠牲になることも
あったのだと思いますが
現代ではそうはいきません。
殺人は特級の罪だからです。
しかしながら、床座施という
無財の七施の一つにもあるとおり
いずれその場所を譲らないといけません。
いつまでも若くないんです。
少なくなった子供達を
大切に育てて、いい世の中を
リレーするためにも
彼らへ税金というリソースを
もっと割くべきだと思います。
この30年で教育予算を数十倍に増やした
隣の真っ赤な国と比べて、
某政党の幹事長が言うには
我が国の教育予算は0.9倍の推移
幼年期保育やサポートの希薄さ
公教育の崩壊、増えない研究費、
逆に増える「Fラン大学」と
社会保険料、介護保険料
高齢者と若者の分断だ、と
問題視されていましたが、
だからこそ、ボリュームゾーンの
ご年配の紳士淑女の皆様は
真剣にこの問題を考えないと
ダメじゃないかなと思います。
僕らロスジェネ世代も
もちろん、そうです。
世界的には人口が爆発的に増えている
しかし、日本人が増えていない。
この現状をもっと自分ごとに
感じてもらえる人が、
高齢世帯含め増えてくれることを
切に願うよしけんなのでした。
