皆様こんにちはおねがい



次男の共通テストがついに終わりました。


体調をすごく心配していましたが、体調が良く緊張感はあったものの、比較的通常通り落ち着いて受験することができました。


リサーチを見ないと分かりませんがこのまま第一希望に願書を出す予定です。




私の子どもたちは、親バカですが、優秀です。


大きくなり、自分の意見を言えるようになった子どもたち勉強だけじゃない、生き方が賢いと最近思うようになりました。



これまで私は、人からは、完璧だの、順風満帆の人生だとか言われる事がありました。



でも小さい頃から、そして思春期から特に私はなんて周りの人に恵まれていないのか、ずっとその不遇さを憐れんできました。


私は三姉妹ですが、10離れた1番下の妹には、障害があります。

私の未熟な両親は、男の子を強く望んでいて諦めきれず3番目の妹を産みました。


生まれて1か月後、妹の障害が告げられました。当時私は、小学四年生でした。

今はありませんが、当時知能テストというものがあり、その時私が受けた知能テストが140超あり、学年でトップだったため、その結果を両親に言ったそうです。


その時から、両親の私に対する異常な教育熱が始まりました。

きっと、障害のある子を産んだ、世間体もあったのではないかと、大人になり推測しています。


母は、八つ当たりしたり、泣いたりして、はっきりと覚えてはいないのですが、大変で、成績が悪いともちろん怒られました。

子どもながらに、そんな情緒不安定な両親を私は障害のある妹を産んだせいだと不憫に思い、勉強を頑張りいい成績をとり、両親がその時だけ笑顔になるのが本当に嬉しかったです。


その時から、私の幸せは、両親の幸せになりました。

子どもたちを育てて気づいたことです。


特に母親は心が弱く、全てを私に依存していました。私は、誰にも弱音を吐けず、無意識に吐いてはいけないと思いこんで、苦しくて苦しくて、高3の時にたいして好きでもない男の人と付き合いはじめました。私は、男の人に依存し始めました。すごく心が楽になりました。私は、苦しい受験勉強から逃げたのです。

私は、高2まで成績は良く医学部を目指していました。もちろん妹のことがあったからです。


案の定、付き合いはじめてから、成績はみるみるうちに下がりました。結果、医学部は落ちましたが、国立の薬学部に受かり、薬剤師となったわけです。母は、自分と同じ薬剤師になったことを喜んでくれました。


ですが、ずっと医学部を目指してきた私は、薬学に興味もなく、ただ、言い方は悪いですが親の見栄で大学に行っていました。


今から思うと、みなさんが感じることと同じように、なぜ自分の意思で進学や人生を決めないのかと、不思議に思われると思いますが、異常な心理状態だったんだな、自分の意見を言うことを避けて成長したんだな、と思います。


親の喜ぶ顔を見るのがずっと私の幸せでしたが、実は苦しくて苦しくてたまらなかった自分がいたんだな、と思います。


障害者の家族は、なんて不憫なんだ、と両親もわたしもずっと苦しんできたのですが、子どもたちを育てる中で出会った障害者の家族の方たちは、私とは全く違って、明るく、しっかりした家族の信頼と絆がありました。


障害は、不幸ではないんだ。


素晴らしい障害者の家族の方々との出会いで、そのことに、気づくことができました。


でも、それを気づくと同時に、未熟な両親への憎しみが湧きだしたのです。



なぜ、幼いわたしに、苦労を背負わせたのか。





人生における財産は、人との出会いだと私は思っています。



私は、ずっとそれが一番ない人間だと思って生きてきました。

だから、私のことを完璧だとか、順風満帆の人生だとか軽々しく言う人たちを、心の中で、何もわかっていない奴だと軽蔑して生きてきました。



ですが、我が子たちを見ていると、周りの人に対する接し方が非常に賢いことに気がついたのです。困ったことがあっても、対処の仕方が非常にうまいのです。


つまり、私の周りに対する接し方がまずくて、悪い人間を引き寄せていた部分もあるんだな、と。




もう自分の不遇さを人のせいにするのはやめようと思います。


障害者ショップに行ってきましたルンルン















全て障害者の方々が作られたものです✨


今の私は、こんなことしか出来ませんが、何もしないよりはいいかな、と自分を優しく許していますラブラブ


次男は、私が高2の頃、第一希望だった大学医学部に出願予定です。


押し付けてわけではありませんよ、たまたま一緒になりました。


こんな育ち方をしているので、子どもたちには、絶対に私の意見を押し付けたり怒ったりは絶対にしたくなくて。



大学時代の親友が、いい言葉を教えてくれました。



どんな結果であっても、

それが今の自分の、

最善である。




みっともない過去も、

辛い病気も、



受け入れて生きていくつもりです✨