おはようございますおねがい
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実は、93歳の私のおじいちゃんが今、危篤ですえーん
昨日、母から連絡がありました。おばあちゃんがなくなってから4、5年たちますが、それから、特養に入所しています。おじいちゃんは、自分から入るといいました。

おばあちゃんが亡くなった時、おじいちゃんは、本当に悲しそうでしたショボーン

おじいちゃんは、気難しいところがあり、人から嫌われることもありました。おばあちゃんとは、昔の結婚なので、結婚式のその日に初めて会った、見合いのようなものでした。おばあちゃんは、学校の教師をしていました。おじいちゃんは、農学校をでて、私は当時のことはよくわからないのですが、地主だったおじいちゃんの家は、戦後の農地改革で多額の借金を背負い、おじいちゃんは土建会社を作り、働いて借金を返しました。



泥にまみれ、汗にまみれ、働いたおじいちゃんを私は尊敬していますおねがい。ですが、おじいちゃんには、学歴も素敵な容姿もありません。しかも気難しい。美人で師範学校を出たおばあちゃんは、若かりし時、学校の教頭先生と駆け落ちしそうになったそうです。おじいちゃんがだめにしたのか事情があったのかはわかりませんショボーン

それから、私が生まれた訳ですが、私はおばあちゃんが嫌いでした。

教養はあったのかもしれませんが、家事は、ほとんどできず、毎日のように外出していました。スーツも既成のものではなく、オーダーメイドでした。掃除もしないので、冷蔵庫の中も汚く中身はずぼらな人でしたプンプン。知らないまわりの人は、『◯◯先生』と呼び、ちやほやされていましたし、料理も出来ないおばあちゃんでしたが、おじいちゃんは、おばあちゃんのことを愛していました。

私の勉強も小3の時、夏休みにおじいちゃんが分数を教えてくれたこと、保育園の時におじいちゃんと佐渡へ二人旅をしたこと、私とおじいちゃんの大切な思い出ですおねがい。フェリーの上で海を眺めながら、近くにいたお姉さんに折り紙で紙風船を作ってもらったこと、今でも鮮明に覚えています。私が年少か年中くらいです。そして、保育園の先生にお土産に珊瑚のアクセサリーを買ったこと照れ
おばあちゃんは、教師だったのに、教えてもらったことは、一度もありませんえー

。愛情のない人でした。こんな女性にはなってはいけないと思いながら、今私は、母親業をしています。



だけど、おばあちゃんは、おじいちゃんを裏切ろうとしたのに、、、

おじいちゃんは、おばあちゃんのことを愛していました。。。


特養のスタッフからは、一週間以内だと言われていますえーん
今日、おじいちゃんに会いに行ってきます。お母さんは、おじいちゃんの顔が違う、らしく、私がショックを受けるかもしれないと心配していましたガーン

つらそうなおじいちゃんを見たくないけど、会いに行ってきますえーん…。

それでは皆様ごきげんようショボーン