アマチュアとはプロ以外を総称するのか? | 踊るアホぅで喜怒哀楽・2

アマチュアとはプロ以外を総称するのか?

希望枠撤廃なければドラフト拒絶

高校、大学、社会人のアマ3団体からは希望入団枠が存続した場合、ドラフト制度を拒絶する構えを示すなど、厳しい意見が相次いだ。日本学生野球協会の内藤事務局長は「こういう事件は遺憾。攻めてくるのはプロ側で、学生側は日本学生野球憲章があって守っている。17、18歳の子をお金で買うのはやめていただきたい。由々しき問題だ」と語気を強め「幹部と連絡を取り合い、希望枠をなくすことで一致している。高野連に同調する」と話した。東京・渋谷の日本学生野球協会を訪れた日本高野連の田名部和裕参事も「子供の成長過程でとんでもないヤツが暗躍している。プロ・アマ信頼関係の崩壊につながる。高野連としては希望枠の採用は終始お断りしてきた。とにもかくにも希望枠撤廃。その後のやり方は枝葉末節だ」と厳しい口調で語った。16日のプロ・アマ協議会を前に「希望枠がなくならない場合は大学、社会人と連携し、その制度は受けない」と話した。


・・・西武球団の裏金隠蔽工作問題で、アマチュアも怒っている。

渦中の二人のインタビューを見たが完全に大人経済の犠牲者であると感じた。早稲田の選手のほうは退部なども話しが出ていると聞いたが。野球に詳しくないので、この『希望枠』は云々というのはよくわからないが、私は、日本学生野球協会の事務局長のコメント(青字強調)に反応した。

「こういう事件は遺憾。攻めてくるのはプロ側で、学生側は日本学生野球憲章があって守っている。17、18歳の子をお金で買うのはやめていただきたい。由々しき問題だ」

コメントの内容は正論であろう。

しかし元々、野球というスポーツも含めて大会上位校の子ども達は金で買われていないのか?直接現金の授受はなかろうが、特待生、セレクションなどの優遇措置でそれぞれの高校や大学に入学してきたのではないのか?高校などは13、14歳の子どもを青田刈りするのである。一芸に秀でた子どもの能力をさらに伸ばすということも、学校という教育機関では必要なことであるが、「(学費を免除するから、ぜひ将来の広告塔に)」が本音ではないのか?


従って、頑張る学校の選手は地元出身が少ない。強い学校にする為の投資は少なからず上位校はやっているハズなのである。同じ年齢で、今も頑張っている桑田選手、清原選手を勝手に取り上げるが、高校時代、彼等はまともに高校生活などは送っていない。当たり前である、学業などは2の次なのである、割り算できるのかよスゲ~!の世界である。甲子園優勝!これだけが彼らが代償と引き換えにした使命なのである。彼等はプロとして報われた。しかし、報われない者の数のほうが圧倒的に多く、プロのプロになってもレギュラーの人数は限られているし、世界がない競技もあるのだ。


実は私も高校、大学とその制度の恩恵に預かった身である。数百万といわれる学費も払っていないし、受験勉強などやったこともない、名前が書ければ試験はパスである。勉強などやる体力なども残っていなかったし、勉強の時間はもっぱら身体を休める時間である。戦績へのプレッシャー、優遇されている周りからの視線などとの戦いである。特に野球選手やサッカー選手などのその年齢あたりからプロという意識をもってやっているのではないかと思う。


そもそも、今のプロ野球の問題も、その延長線にあるのではないかと思うのだ。何も特待制度(優遇制度)などが悪いというわけではない、既に教育側と絡んでいるからおかしくなるのだと思う。学校の顧問や監督、校長なども名誉が欲しいのである(一部では卑しい噂なども聞くが)特に15、16歳は本当に純粋だ、プロ、アマ交えて充分な結果にいたるまで討論して欲しいものだ。


まあ、こんなことなので事務局長の西武へのコメントに“ピク”っときたのだ。コメントの内容自体は正論なのでしょう。