農業の経済学
ピーマン:廃棄始まる 価格暴落で出荷自主調整--東串良町 /鹿児島
・・・世の中の価格の決まり方はいたって簡単である。『需要と供給』のバランスである。なんか偏った報道のあり方に少しカチン!とくる。
経済を専門に学んだことがない人にも理解は出来るはずだと思う。11月18日のブログ「もう一歩進んで考えてみようよ」 でも書いたが、貴重な野菜が人の口にも入らぬうちに廃棄されるというのは哀しいものである。それも売れば売るほど赤字ということなのである。全ての対策を講じて、本当に捨てるしかなかったのかと今でも思う。国内需給率を上げたいと考えているにもかかわらず廃棄処分。廃棄処分については国の交付金の対象にはならないらしいそうだ。それはそうである、農業に欠かせない気象環境は抜群だったからである。しかし、需給率を上げることに取り組んでいるのであれば国や自治体ももっと知恵を振り絞ることはできなかったのだろうか。
農家ではない私が言うのは何だが、野菜は成長が早く苗を植えて数日で収穫できるから、その収穫量がわからなかったのだろうか?ある程度の時点、例えば1ヶ月前の時点でおよその状況は把握できなかったのだろうかと思う。不謹慎な例えだが、「子供は好きなんだけど、5つ子が生まれちゃったので育てることができません。どうか、こうのとりポストに投函させてください」と私には聞こえてならない。一歩譲ったとして、農家は農作物を作るの事のみが仕事であるというならば、天候を見越してJA(農協)などは、供給の調整を行うべきだと思う。農家に、やれJAの農薬を買え、肥料を買え、設備投資するならJAから借金せよ!など金を人質にしながら、流通の整備は他人事である。農家はJAに借金を返すために農作物をつくっているようなものである。農家が売り先をJAにしないものなら、融資はないものとなる。だいたいのところが一蓮托生の分があるので、このの報道を素直に聞くことが出来ない。
手塩にかけた野菜ならば、自分の名前をつけて売ってみたらよい。自分の名前のついた野菜だったら廃棄処分など早々に出来ないだろう。自分の子供の名前をつけたらもっとよい。もっといい愛着が湧くに違いない。