【この町ん大将が登場じゃ~!】昭和の町~その弐 | 踊るアホぅで喜怒哀楽・2

【この町ん大将が登場じゃ~!】昭和の町~その弐

ALWAYS(3丁目の夕日) をご存知だろうか?昭和33年を舞台にした平成の大ヒット映画らしい。12月1日にテレビ初登場らしいが、これは番宣ではない。しかし、「昭和の町」はやっぱり昭和のままで、登場人物は全て昭和のおっちゃんとおばちゃんたちである。変わったのは、一万円札が聖徳太子から地元の諭吉さんに変わって、500円硬貨ができた。テレビも薄く大型になって、洗濯機は自動になった。いろんなものが便利になった。しかし、この町のおじちゃんやおばちゃんはパソコンにさえ悪戦苦闘なのだ。私は、この昭和のALWAYSで遊んできた。映画のように洒落たセピア色ではない、色はちゃんとカラーである、ただ時代に育まれた雰囲気が人工的映像とは全く違うのだ。食うのが精一杯だった昭和の時代。牛肉コロッケがご馳走だった時代は現実に残っていた。


駄菓子屋の小宮館長さんに連れられて、この町の大将に会いに行った。(写真がなくて残念)勿論、ガキ大将ではなくて、この商店街の顔といったところか?(昔はガキ大将だったそうだ)髪の毛の薄い、「やしきたかじん」みたいな顔でメガネをかけている、背が低い。なぜか、いつも白衣?が大将のユニフォーム。右手にはいつもミニスター(古くからあるタバコで、フィルターなしの1箱30本入りの昭和のシガレット)が指にはさんである。



森川報国堂 ミルクセーキ

大将で2代目の森川報国堂は、「ミルクセーキ屋」、右の写真は、この店の逸品「ミルクセーキ」


シンプルに、卵と牛乳とハチミツだけで作ったミルクセーキがこの店一番の売り物だ。昭和の当時、どれも高価な素材であったらしい。夏場は店の営業者で鐘を「チリ~ン、チリ~ン」と振りながら、ミルクセーキを自転車、もとい営業車で売りに行ったそうである。ミルクセーキは人気者であり、紙芝居と並ぶ町のヒーローであったと大将は語る。大将は毎日忙しい、跡取りがいないので、店の番やら雑誌やテレビのインタビュー、商店街の会合などの忙しいスケジュールをこなしている。(でも痩せない)本人曰く「毎日、菓子の味見をすると痩せんちゃ~」(やせないんだよ:意)そして、奥様がまた良い方で、趣味は苔球づくり。見知らぬ客にも気に入った人ならば自慢の苔球をあげてしまう、昭和の町のマザーテレサみたいな奥様だ。お二人の写真がなく本当に残念である。森川報国堂自慢のミルクセーキはカップ入りで200円程度、これにハマッたリピーターはたかが数個のミルクセーキのためにクール宅急便代を含めて1000円近くも出してお取り寄せするのだそうだ。ハチミツの甘さもホドホドに心地よい、シャリシャリと凍った触感は昭和に限らず夏の喉を潤す。無添加だから小さなお子様にも優しい。大将と2時間ほど話しをして大いに賑わった私の話にも大賛成してくれて原価で譲るからと言ってくれた。しかし、店で売っているミルクセーキの価格と教えてくれた原価があまり差がないことに気づいた。恐る恐る大将に聞いてみると、「こん町で、あんまり利益を取るとが気がひけるとよ~!」(地元で利益を取るのに気が引ける:意)『え~これじゃ観光客が増えてもあんまり儲からないじゃないですか~』と私。「しかたがないと」と大将。(本当に商売っ気がないのかな)
森川 自転車
これが、昭和の町の営業車である


この昭和の町では、各店に『昭和のお宝』がある。昭和の嫁入り道具、昭和のミシン、昭和の肉切り機、昭和の茶箱など、●●探偵団に出品してもよい代物である。全て先代からずっと受け継いできたものだ。町を歩いているとこのお宝が、前面に出してありいつも見ることができる。たかが、買い物をするだけならこの町は、15分もあれば回り終えてしまう。しかし、この町には「ご案内人制度」という、町を無料で案内してくれるサービスがある(要予約)。町のボランティアの方が、拡張スピーカーを肩に下げて、町を案内しながら、一店一店のお店の昔話や、その当時のエピソードなどをゆっくり語りながら案内してくれる。ご案内人さんと一緒に歩くと、この町を歩くのに1時間ほどかかる。1時間で昭和の町の住人となってしまうのだ。


大将と小宮館長たちとの話しは尽きないが、後日、出直してきて他のお店の紹介を、森川の大将にお願いすることにした。そろそろ、お暇しようと思っていた頃、対象が「●●君、ちょっと見てんね」(見てご覧:意)大将は、商店街のメインストリートを腕組みしながら、アゴで指した。通りは観光客で賑わい、たくさんの人が「コロッケ」を食べながら歩いている。「こげな、風景、俺たちは想像もできんかった。変わらんことも、よかこつがあるっちゃね~」(こんな、光景は私は想像することもできなかった。変わらないことも、いいことがあるんだね:意)


観光客の人たちが持っているのは、昭和のコロッケ。


金岡   金岡のご主人


昭和のコロッケはここ、「肉の金岡」で手に入る。私がこの町にいたときは、1個50円でアツアツの牛肉コロッケを食べることができた。右は店主の金岡さん(この人がまた、いい人。いつもニコニコしていてこっちまで笑顔になります。金岡さんにもお世話になりました)商店街一色男な店主。毎日、手作りでコロッケを作ってくださる昭和の町のファーストフード屋さんである。(本業は肉屋)マクドナルが日本で初めて銀座で出店したときよりも、この町では衝撃的だったそうである。しかし、店主曰く、50円では採算割れするのだそうだ、泣くに泣けないが町のためにいつも笑顔であった。この金岡さんがコロッケに使用する牛肉は『』豊後牛、内閣総理大臣賞も受賞したこともあるブランド牛なので高い!でも、この町は地物食材を使うと決めているから仕方がない。


この町では「こだわり」は当たり前である。

いつの間にか、こだわりは限られた人にしかできないようなマスコミの言い回しが私は嫌いだ。別にこだわろうと思って、店主達は地物にこだわっているのではない。ここは、自分が生まれ育った町だから地の食材を扱う、ごく当たり前のことなのだ。だから、各店はいちいちこだわりなんかはいわない。インタビューで「こだわりは?」と聞かれる時は結構困るといっていた、勝手に取材側が地物との食材にこだわりたいという方向性に持って行きたいだけなのである。


たくさんのマスコミや観光客で昭和の町は少しづつ変化をしはじめた、少なからずもお金も投資をされているのだ。さらに観光客や町の人によかろうと投資をされているわけだが、私は何故か新しく出来る建造物に違和感を感じる。必要なのかもしれないが、この町の跡継ぎを作る事のほうがが先決である。農家などと同じで、ここの人たちはほとんどが年配の方たちだ、一般の休日が観光客のピークだから休む暇がないのだ。秋の時期は尚更、近隣の紅葉狩りも兼ねてやってくる。正直、つらいことも多いとも店主達は言っていた。昭和の歩幅が平成の歩幅が近づいてきた、勝手だができればそのままの歩幅で歩んで欲しい。


・・・まだまだ続くよどこまでも。次回は給食編。



※私は昭和の町の密使でもなく、昭和の町の商品を売っている訳でもございません。