【衣替え】スキンを変えてみた。そしたら昭和の町を思い出した。
今使っているスキンにアジがないなぁと思いながらも、カスタマイズするテクニックはなしときたもんだから、スキンの一覧を見ていたところ『駄菓子』のスキンがあったので変えてみた。タイトルとは、マッチングしないが、最近の世知辛いニュースばかり取り上げていたので自分の目の保養にもよいかと決めてしまった。
駄菓子といえば、皆さん子供の頃のオヤツの思い出が多いだろうと思うが、私の場合印象深いのは大人になってから、それもつい3~4年前のことである。1年半ほど前に仕事で大分県に4年ほど住む機会で得た貴重な体験の一つだった。私が住んだのは、大分県の北部の方であり車で10分行けば、潮干狩りで切る砂浜へ、30分行けば一面蛍の光に包まれる幻想的な林の中へ、40分行けば、人気のない浅瀬の川で森林浴。その道中には、いたるところに温泉が出ている。だから車の中には常に「お風呂セットは欠かせない」そんな、大分県の北の町に住んでいた。ちなみに隣町は福沢諭吉の生家のある中津市だ。
久し振りに『駄菓子』に触れたのは、仕事の最中。お客様に何か、いいプレゼントはないものかと思案中だった。慣れぬ土地なので、この辺の産物がよくわかない。大分県といえば、椎茸、関アジ、関サバ、湯布院、温泉といったところだが、こんな高価なプレゼントは用意できない。数が多いため、一人当たり数百円といったところだった。休みの日に何かないものかと、ドライブマップを見ながら、嫁と散策していたら、あった、あった、掘り出し物を見つけてしまった。当時はまだ、ドライブマップに乗っていなかったので偶然であった(そりゃそうだ、ただの商店街だからね)
昭和の町~その壱
昭和の町・・・お聞きになったことがあるだろうか?
行ってみると、何て~ことはない。古びた商店街である。たぶん、このような商店街は東北にも、関西にも、関東にもあるだろう。しかし、驚くことなかれこの商店街は昭和30年からこのままなのだ。(看板以外)一時期レトロブームもあり再現された、町並みや店舗がテレビでは話題だったが、ここは再現する金もない。さらに驚いた、扱っている商品は、昭和30年代の物もあった、商品もそのまま扱っているのだ。とにかく歩き回った、小さい商店街だけど何回も歩き回った。なんかばあちゃんのにおいのする町で楽しかった。
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!って感じだった。
ここは、昔は北部一番の繁華街だったそうであるが、産業の衰退体と共に人口が半分も減り衰退化していった町である。当時は「お町』と呼ばれていたそうである。「ねえ、今度お町に買い物に行こうよ」これが、昭和30年代の町の人のステイタスであったらしい。(私もガキの頃、百貨店などは他所行きの服でしか連れて行ってもらえなかった。そんな、行く場所に合わせて着替える緊張感がとても楽しかった)数年前までは人の数より猫の数のほうが多く、笑うに笑えなかったらしい。それは、レトロブームに目をつけた観光会社が、ツアーを企画したところ、町に火がついた。そして、町は『昭和の町』と銘を打ち、大作戦を行った。
人の数より猫の数が多かった町に、毎日大型観光バスが何台もやってくる。今では、毎年20万人の観光客がやってくる町に様変わりした。
私は、この町の雰囲気とこの町の商品を、お客様のプレゼントに勝手に決定してしまった。
まずは、大好きな駄菓子屋へ 行ってみた。この駄菓子屋は、おもちゃ博物館と一緒になっており、館長さんが運営している。館長さんは福岡出身ということもあり、私の提示に快く賛成してくれて、「なんでも、持ってってよかよ」(何でも、持っていていいよ:意)「何なら、他の店も紹介しちゃろう~か?時間はあるとね?なら行こか?」(なんだったら、ほかのお店も紹介しようか、時間はあるの?じゃあ行こうか:意)「こん町ん人たちは、商売っ気がなかけんねえ、一つ渇が入れちゃらんといかんとよ」(町の人たちは、あんまり商売にやる気がみえないから、渇を入れてやらないといけないんだ:意)とぶつぶつ物々しながら、町の大将のところに連れて行かれた。
当時、私は通信販売という事業部の運営システムを、ある企業でつくっていました。地元の野菜を使った健康食品を販売しており、キャンペーンに利用するプレゼント商品を探していたのです。健康に不安なご年配の方がお客様に多く、どうせ送るのなら、なんか小洒落た、地物の商品で和ませたいな~と思いはじめたのがきっかけである。その後、館長にはたくさんの紹介を方を紹介していただいた、そして人とか、町とか、食べ物に対する私の転機になるものだった。・・・つづく。
※私は昭和の町の密使でもなく、昭和の町の商品を売っている訳でもございません。

