人間の付加価値
巷では西武・松坂選手のメジャーの移籍金60億円という高額さに話題である。いわゆる不可価値である。メジャー本場アメリカでの高い評価に私もうれしく思う。
例える例も悪いのだが、私と松坂選手を比較すると肉体的な質は対して変わりはしない、知能はいくらか私が上なのかもしれないが・・・。圧倒的に違うのは野球という一分野に関し、その中の世界共通のルールの中で『投げて勝つ!』ということが私と比較にならないのである。松坂選手のみならず家族や周りの環境、最大は本人の努力である。高校生時代より群を抜き、常に注目されながらも目標を掲げて、やっとメジャーに挑戦してきたのだと思う。人間はそれぞれ大人のになると働いて給料をもらう。その高さ、低さが一つの商品価値の判断基準である。一基準であり人間性やその人の豊かさとはまた違う尺度であるが、私が言いたいのは、松坂選手の得意分野は私が知る限り野球のみなのである。
今、教育問題では教育の画一性も含めて多くの問題がある。子供たちは将来何をしていいかもわからない状態であり、とりあえず受験のために学校行くのである。誰もが松坂選手のような付加価値が持つかどうかわかなないが、誰にもそれぞれに興味や得意なことがあるはずなのである。その分野をとにかく伸ばしてもらいたい。そのような教育を現場で行って欲しいと切望する。昨日の教育基本法改正案強行採決の件でも、そても子供に見せられる現場ではない。改正案の内容についてとやかく言わないが、この危機的な教育状況に拍車をかけるような政治家たちである。人間には、それぞれ想像できない未来が待っているのだ、その子供の未来を生かすも殺すも私たち大人の人間ということなのだ。まず政治家が手本にならず誰がやる。