突如としてそびえ立った下町のスカイツリーを、我々がもう、ずっと昔からそこにあったかのように受け入れ、当たり前のものとして捉えている、という不思議。
ある街角の建物が突如として取り壊されていたときに生じる、「あれ?ここって何があったっけ?」という、あの清々しいまでの忘却と、スカイツリーについての上述の感覚は、まるで正反対のようでいて、その二つはよく似ていると思った。
ちょうどコインの裏と表の関係のように、違う側面の同一のものだと。
それでも、その足元をもっとずっと昔から流れる隅田川の普遍の流れと対比してみると、スカイツリーの生まれたて感は、また我々の中に、思い出される。
隅田川は生まれて間もないスカイツリーをよそに、ただ変わらず悠然と、自分の役目を全うしている。
人間がしばしば苦悩する、普遍であることの難しさを、まるで感じさせないがごとく。
スカイツリーの上部には、二つの光のリングがくるくると周っているところがある。
人工的で且つ生まれたてとはいえ、その二つの光もまた、そのペースを変えることなく、ひたすらに周り続けている。
これから先の、そのまた先の未来が続く限り、あの光は下町の空で周り続けるのだろう。
遥か夜空の上空ではしゃぎ回るその様は、老熟な隅田川とのコントラストにより、まるでいつまでも大人にならぬ双子の兄弟の、終わらない追いかけっこのようであるなぁと思った。






💦 笑
