誰もが平等な社会を作ることは、各個人の人間としての尊厳を守るためにとても大切なことであると思う。
その為の政治形態が民主主義だと理解している。
しかし、故チャーチルが「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」と言ったように、民主主義が本当に社会を良くしていく為には、さまざまな条件があると思う。

民主主義は、様々な議論はしても、最終的には多数決で決めるために「数の論理」が優先される。
そのため、政党を作り権力闘争に明け暮れている。
政党は同じ志しを持つ者の集まりであるはずが、自分が政治屋として生き延びるための談合のようになっているのではないか?
これでは、本当に社会を良くしていく為の政策が実現出来る訳がない。

自分の所属する政党で不祥事があっても弁解し、他党で同じことがあると激しく非難する政治屋を見る度に吐き気がする。
政党にたよらず、政治家ひとりひとりが、国民から選ばれた代表として、しっかりと意見を持ち、議題ごとに議論するべきではないか。

一国民として、また無所属で活動してきた地方議員経験者として、政党ではなく、個人として優れた者が政治家として選ばれる仕組みを作ることが、民主主義を機能させていくために大切であると痛感してます。


今日よんだ記者会見記事で、江田憲司衆議院議員が言っていることにとても共感したので、その一部を掲載します。

『今厳然として政党が存在にしている以上、公党間でまず協議を始めると。
しかし私の持論であります、寄り合い所帯の政党を政治理念や基本政策で整理整頓して、まっとうな政党を作る。
そうしないといつまでたっても自民党であれ民主党であれ、政権を取った途端に内輪もめが起こって、基本政策・重要政策も議論が紛糾して決まらない。
そうした時に官僚が出てきて、足して2で割って、こんなところでどうでしょうか、と、官庁文学を駆使した美しいペーパーを作って、大して効き目もないような政策が決まっていく。
これが私の一番の問題意識ですからね。
最後は一人ひとりなんですよ。政界再編というのは、最後は政治家一人ひとりの判断ですよ。
ですから政治理念や基本政策という旗印。これをこの指というと、「この指とまれ」なんですよ、再編なんですよ。
だからどこまでいけるか分かりませんが、最終的には、どこの政党のどこの政治家であれ、憲法では国会議員の一人ひとりが全国民の代表者と位置づけられているんですね。
政党というのはあくまでも議会の中の便宜的な集団でしかありません。
ですから最終的には、政治家個々人の判断で、我々が策定した綱領、理念、基本政策に合致する人を糾合しています。』