ここ数日見え隠れする。
そんな表現が適切かも知れない。
小林麻央さんやご家族と重なる。
ブログの更新で、どこへ向かうのか自分でもコントロールしきれない感情をキープする。
大切な人を亡くした時、心の方向性を決める方法は人それぞれだ。
正解は無い。
心、身体を静かに休める。
それだけが正しい方法では無いと私は思う。
経験者として。
私の場合、心や身体を静かに休めると止めどなく溢れる感情や悔しさ、悲しみ、苦しみだけに支配されるだけだった。
出産直後の闘いからずっと休む暇無く突き進んだから、休息は必要だったのかも知れないが、私に休息は苦痛でしか無い。
そんな乗り越え方もある。
海老蔵さんに、頻繁なブログ更新を批判する必要は無いし、制止する権利は誰にも無い。
それは余計なお世話であり、余計なお節介。
優しさ、思いやりとは、静かに見守るだけである。必要な時に手を差し伸べる。それだけだ。
頻繁なブログ更新を制止出来る人がいるとするならば、ご主人の体調を心配する小林麻央さんだけである。
海老蔵さんの自由であり、あえて頻繁な更新を謝罪する必要も無いし、悲しみに向き合う人に余計なストレスを感じさせるとは。。改めて理解し難い。
匿名という武器に隠れ、誰かを批判する暇があるなら、自分に与えられたこの上無い人生という奇跡を必死に生きて欲しい。心から思う。
与えられたチャンス→生きる事をマイナスに使ったら勿体無い。
大切な人を亡くしたご家族は、現実に、もがき苦しみ、それでも亡くなった家族の命を引き受け、必死に生きようとするのだから。悲しみからどうにか這い上がろうと必死なのだ。
私はひたすら応援したい。
お会いしたことも無い、小林麻央さんご家族を応援なんてそれこそ余計なお世話であり、余計なお節介だが、どうしても応援したい。
賢人を亡くして8年の月日が流れても闘いも挑戦も終わらない。ずっとずっと続く。
かわいそうな人生でも、かわいそうな賢人でもない。
人生はいつか終わる。
人生が終わる悲しみより、生まれて出会えた幸せを大切にしたい。