人生の意味 | babyを亡くしたママのブログ

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09年8月3日息子は天使になりました。

病名は・・先天性心疾患『総肺静脈環流異常症』2ヶ月と17日一緒に生きた幸せを大切にして前を向いて明るく笑顔で生きていきます。1人でも多くの方に勇気&元気をプレゼント出来るようにブログをスタート♪

ドリカムの『その先へ』の歌詞にある…

もう傷つきたくは無いよ。
正直 今も思っている。

人生の意味なんて知らない。
開き直りでもなんでもいい。

本当に賢人を亡くして思う。

昨日から9月になり、賢人が逝った8月から4年が過ぎたんだと改めて思った。
もう誰にも…私達のような悲しみを味わって欲しくないと思うのに、今も闘病中だったり我が子を亡くした苦しみに向き合う人がいる。それが現実。
もう本当に傷つきたくない。
普通に一日を終えたい。
家族が出勤するのを見送った時、何事も無く無事に帰宅して欲しいと願う。当たり前の家族団欒は当たり前じゃないって知ったから。

私は賢人を亡くして思う。
命の交換所があれば良いのに…って。
世の中自殺する人もいる。
それは、その人にしかわからない苦しみや悲しみを抱えているからそういう選択に至ったわけで、簡単に否定も肯定も出来ない。
もちろん賢人を亡くしたから死ぬ気で生きて!と思うけれど…その人は死ぬ気で生きたけれどどうしようも無い結果だったのかも知れない。
でも自殺する人の…その命があれば生きたい命が助かるわけで、さらに自殺する人の身体の一部を提供すれば、元気に生きれる人がいるのだ。
だから…命の交換所があれば良いのに。
なんか小学生みたいな発想だが…。
でも出来ないのだ。それが出来ないのだ。
それが命なんだ。
自殺する人のニュースを見るたびに…あぁその命があれば…と泣きながら分けて欲しいと思う人がいる。
でも不可能。
交換出来ないのが命。
私は30年生きたから賢人を生かしてあげたかったのに身代りになれなかった。私の命は、生きなさい!って与えられた命。
私は生きているんじゃなくて、生かされている命。
私は思う。きっと自殺する人に、『あなたの人生はもうすぐタイムリミットが迫ってます』と宣告したら…
生きたい!って感情が芽生えるんじゃないか?と思ったりする。
命の交換所があったら、命を提供する瞬間に躊躇してしまうのかも知れないって。
今…生きていくのがしんどいなとか、苦しいなと思う人がいたら
命は、生きているんじゃなくて生かされているんだよと一言だけ伝えたい。
苦しい気持ちを包みたい。
私も賢人に生きて欲しかったけれど、身体が限界だった。我が子なのに…助けてあげられなかった。
目の前で人工心肺に繋がれた賢人を救ってあげる事が出来なかった。
世の中祈っても、願っても…どうしようも無い現実がある。
きっと…賢人は病気に奪われたわけでは無く、賢人の身体の苦しみや痛みを救ってもらったと思うようにしている。
生きて欲しいと願うのは私の感情。でも
賢人は生きていたらキツかった。
だから人生をストップした。
私は賢人の考えを受け入れる。
生かされた私が賢人の人生を生きる。
生きているんじゃなくて生かされている。
だから賢人を失った苦しみや悲しみも耐えて…抱えながら生きる。
この苦しみや悲しみに耐えていくのも賢人の母親としての役目。
そしてこの人生を生きながら、同じ気持ちで闘い、葛藤する誰かを包み救いたい。気持ちに寄り添いたい。そして…経験を踏まえ頑張らなくて良い!とエールを送りたい。
命の交換所は無いけれど、交換出来ない掛替えのない我が子の人生を受け取り生かされている限り生き抜いていきたい。
何度も這い上がって生きようと必死だった賢人のためにも!