私の教育論 | babyを亡くしたママのブログ

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09年8月3日息子は天使になりました。

病名は・・先天性心疾患『総肺静脈環流異常症』2ヶ月と17日一緒に生きた幸せを大切にして前を向いて明るく笑顔で生きていきます。1人でも多くの方に勇気&元気をプレゼント出来るようにブログをスタート♪

もうすぐ麗夏は3ヶ月になる。

昨日はダスキンのお姉さまに『赤ちゃん半年くらいですか?』と

目の前でベビービョルンに乗りながらケタケタ笑う麗夏を見ながら

年齢の確認をされた。

もうすぐ3ヶ月だと言うと、首がすわっているかと思うくらいしっかり

していてぷくぷくに大きく成長しているのでご自身のお子様と比較し驚いたようだ。

毎日成長するその姿、笑い声、泣き声、寝顔、全てが愛おしい。

私をママだと認識してケタケタ笑って私を目で追いかけてくれるその行動に

泣けてくるほど嬉しい。

本当に当たり前で小さな出来事で、何の感動も無い日常的な事かも知れないけど

私には本当に奇跡で、この上無い喜びでずっとずっとこの幸せが続いて欲しいと

願い、祈ってしまうほどだ。

1日中こんな小さな幸せを積み重ねて今という喜びを噛みしめているのだ。

賢人と麗夏、私は2人に感謝している。

私のすぐそばに存在してくれている事に感謝してもしきれないほどだ。

ニュースでは耳を塞ぎたくなるような事件が溢れている。

健康な子供を親の手でどうして不幸にしてしまうのか・・。

不公平だと思う時がある。

人を殺しても平然と生きている人間がいるのに、何もしていない小さな命が

天使になる。

納得できないってこういう事だと思う。

そこには色々な運命や逆らえない流れがあるのかも知れないけれど・・・。

子供を亡くしている私にはやっぱり納得できない時がある。

虐待としつけの境界線はとても難しい。

価値観にもよる。

虐待という言葉が注目されはじめたのは最近だが、ずっと昔から存在する。

昭和の時代・・親は厳しいのが当たり前で先生も同じように厳しい。

もちろん近所の人も同じように厳しい。

自分の子、人の子分け隔てなく悪い事をすれば子供を叱ったのだ。

悪い事をすれば叱られて当然。

注意しなければ当人は何が正しくて悪いのかという判断が出来ないから。

何度か言ってそれでも言う事を聞かないなら『喝!!』を入れられる事もあった。

私の学生時代は竹刀を持った怖い先生が廊下を行ったり来たり・・悪い事を

すればものすごく怒られた。

今は・・・一番身近な親や家族に怒られる事が無くなったのだ。

子供に『怖い』という感情が無くなったのかも知れない。

ましてや他人に注意されると『逆切れ』する。

理由は怒られる事に慣れていないから戸惑いその感情が『ムカつく』に変るのだ。

更には・・・自分の子供が悪い事をしたにも関わらず他人に怒られた事に『逆切れ』する親までいる始末。

こういう世代の将来は大丈夫なのだろうか?・・と不安になる。

(私もぴったりこの世代だから私含めて・・)

こんな状態だから虐待としつけの区別がさらに難しくなる

怒られ慣れていない大人は怒る基準がわからない。

重要な場面で注意する事が出来ず、自分の感情をコントロール出来なくなって

暴力で何もしていない子供にぶつける。それを『しつけ』だと思い込んでいる。

『怒る』と『怒られた後フォローする』という事が子供には必要なのだ。

愛情いっぱい育てていれば怒られても子供はしっかりその厳しさを受け止める。

虐待としつけの区別は愛情があるか否かだと私は個人的に思う。

憎さだけで怒っても子供には全く伝わらない。

怒るというのはその子を愛するからこそ社会に出て困らないように大人になって

後悔しないように良い事、悪い事の区別を教えるという事だと思う。

親の威厳は必要だと私は思う。

もちろん威厳を持てる親でいたいと思う。親としての努力をしなければいけないと思う。

小さい頃、私は両親に厳しく育てられた。

父親は本当に怖かったし、母親も同じくらい怖かった。

この2人には逆らえないと思った。

本気で私達姉妹を子育てしてくれた。

怒る時も一生懸命怒ってくれた。

今はそれが私達姉妹への最大の愛情だったと理解出来る。

身勝手な虐待というものがこの世から無くなれば良いと本当に思う。

育児や教育に正しい答えは無いけれど何の罪も無い小さな命が

消えてしまうような残酷な事件が無くなれば良いと思う。

これはあくまでも私個人の教育論。

色々な考え方があるけれど、私は私なりの教育方針で賢人と麗夏2人を

育てて行きたい。

ベースは自分の両親、祖父母を尊敬し、主人を尊敬して妹の存在に感謝し

賢人と麗夏に感謝するという事。