改めまして、


桜花浪漫堂「人間失格」全公演が終了致しました。


ご観劇いただいた皆様ありがとうございました。


Wキャストのため3公演のみの出演でしたが、それでも毎回ズシリと重厚に響く物語に、


振り返りながら筆を取る今も尚、その空気感が蘇ってくるようです。



今回、初めて読んだ20代前半の頃から数年ぶりに触れ、


読み物としてではなく演じることを念頭に置いて読むこの物語は、


より一層その文体の美しさに舌鼓を打ち、また秘める解釈や観点の可能性の多さに改めて感嘆しました。


他方で、


シヅ子という目線から読むこの物語は、こんなにも全体の印象とは対照的な側面を持っているのかとも感じました。




シヅ子は葉蔵に対してはじめ、“不思議な魅力”を感じたのが起点でしたが、


娘のシゲ子との関わりを見て、そのシゲ子の笑顔に母として、


葉蔵という存在の必要性を感じたのがその後へと続く大きな転換点だったように感じます。


それは亡き旦那の存在、そして父親にしか埋められないシゲ子への愛があることを改めて感じると共に、


またその過程から見える葉蔵の人間性に、シヅ子自身もまた、“不思議”と片付けていた魅力の解像度が少しずつ言語化され腑に落ち惹かれていくようでした。


担えなかった父親としての役割を背負ってもらい、また自分自身も支えられ、


これまでの人生が形作った今の葉蔵の持つ人間性に、


ただ母として、女性として、


"居てくれる"だけで、多角的に幸福を得ることが出来ていました。



葉蔵を取り囲む様々な女性の中で、


“未亡人”という属性は唯一シヅ子だけが持つ背景であり、


葉蔵の持つ魅力をまた新たな視点から表していたのではないかと思います。


自分のためだけに生きている女性ではなかったからこそ特別な強さを持っていて、


例えば堀木やヒラメのような、外野の目を遮断した生活を葉蔵に与えることも出来た、唯一の存在だったようにも思います。


道化を演じることになったその要因の1つを取り除けたかもしれなかった。


単純でないことはわかっていながらも、シヅ子主観なのでそんな希望的観測を持ってしまいますが、


紛れもなくシヅ子にとっては葉蔵は、希望を抱く存在であったことは、今回演じていて強く感じたことでした。



初めて読んだあの頃から数年、


その間中ずっと変わらずそこに在り続けたこの作品の頁を数年ぶりに開いて、


こんなにも違って見えるとは思ってもいませんでした。


自分の変化が鏡のように映され反射的に感じたようでした。


そんな風に思えた今、こうしてまた出逢えたことを改めて幸福に思います。



全3公演ご観劇いただいた皆様、


ありがとうございました。


この作品に関わる全ての方へ、


ありがとうございました。






シヅ子役 北村健人