生い立ち

 

1995年9月24日生まれ

 

血液型はA型

 

名前は健登(ケント)

 

2人兄弟の長男

 

石川県金沢市で生まれる。

 

幼少期

 

生まれつき引っ込み思案で、

 

コミュニケーションがうまく取れず

 

にいつも母親の後ろに隠れてばかりの子供だったそうだ。

 

いや、この時期はほんとに記憶ない(笑)

 

 

小学生

 

小学生時代は

 

自分で言うのもあれだが

 

優秀だったと思う。

 

勉強では、

 

常に100点だったし

 

通知表も5段階評価でほとんど5だった。


 

勉強ができたので、

 

生徒会に入らないか?

 

と担任の先生に言われ

 

断れない性格で生徒会の副会長もやっていた。



 

勉強だけでガリ勉だったのか

 

と言われると、そんなことなく


 

運動好きで、

 

運動会ではリレーのアンカーを務めたり、

 

習っていた水泳では

 

選手コースに上がり地区大会で優勝したこともある。


 

また絵を描くことも好きで、

 

コンクールでは県知事賞をもらってもいた。


 

なんでも少し努力すれば結果がついてきて

 

小学生の頃はすごく楽しかった。


 

友達も多かったし、性格も明るかった。

 

ただ少しプライドが高いと母親は思っていたそうだ。


 

こんな晴れ晴れとした小学生時代を

 

過ごしていたなと。

 

今思うともう一回戻りたいな

 

とも思ったりする。



 

中学生

 

中学校は近くの公立中学校に進んだ。


 

小学校の時よりも人数が増えて

 

入った時すごくワクワクしていた。


 

いっぱい友達を作ろうと

 

いろんな部活を見て回ったけど

 

やはり今までやってきた

 

水泳を続けようと思って

 

水泳部に入部した。


 

勉強の方は

 

小学生の時よりも

 

難しくはなった。


 

だけど

 

真面目な性格だったので

 

テストはだいたい75〜80点。

 

通知表の評価も

 

5段階評価で4〜5をキープ。


 

スポーツも勉強も

 

まあまあそこそこできていたので

 

普通に楽しく過ごしていた。


 

ここまでは

 

順風満帆な中学生生活だった。

 

しかし

 

中学2年の5月に

 

事件は起こった。


 

祖母が病気で他界し

 

一人になった障害持ちの祖父を介護するため

 

家族で祖父の家に

 

引っ越すことになった。


 

当時の僕は

 

思春期真っただ中で

 

精神的にも敏感な時期だった。


 

そんな僕にとって

 

住む場所が変わり

 

介護を手伝わなければいけない

 

ということは

 

かなりのストレスだった

 

と思う。

 

引っ越しをしてから

 

半年が経ったころ

 

僕はついに限界がきてしまう。


 

何をするにもやる気がでない。

 

もともとは真面目な性格で

 

優等生タイプだったはずなのに

 

学校の宿題を一切やらなくなった。


 

やらなくなったというよりも

 

やれなくなった。

 

部活も理由をつけて

 

休むようになり

 

最終的には

 

学校も仮病で休むようになった。

 

さすがに親が心配し

 

精神科の病院に行くことになった。

 

診断結果は

 

うつ病だった。

 

そこから僕は

 

週一で病院に通いながら

 

自宅に引きこもるようになった。


 

それから2年後

 

薬を使った治療の甲斐もあり

 

何とか回復することができ、

 

一年の浪人の末


 

高校受験をして

 

無事高校に合格した。







 

高校生


 

高校は

 

平均より少し上くらいの

 

自称進学校へ入学した。

 

家族と医者以外の人と話すのは

 

実に2年ぶりだった。

 

僕の知っている同級生とは

 

中学二年生の頃までしか

 

知らなかったので



 

最初にクラスメイトを見たとき

 

同年代の成長に驚き

 

みんなが大人に見えて

 

しょうがなかった。

 

軽くタイムスリップしたかのようだった。


 

二年間も親と医者以外の人と話していない

 

というのはかなり大変な問題で


 

友達を作れるかどうか

 

という話の前に

 

まず

 

他人とのコミュニケーションの取り方がわからなかった。

 

話しかけられたらどう反応していいのか

 

話しかけるときはどうしたらいいのか

 

どんな会話をすればいいのか

 

何もかも忘れてしまい

 

どうしようもなかった。


 

何度か話しかけてみようと努力はしたが

 

結局うまく話すことはできず

 

僕は一人で過ごすようになった。

 

クラスメイトは察してくれて

 

何も問題を起こすこともなく

 

高校生活は静かに過ごした。


 

高校三年になると

 

僕も人並みに受験勉強をはじめ

 

無事大学受験を終えた。



 

大学

 

地元の金沢の大学へ入学。

 

何かこれがやりたい!という意思もなく

 

ただただ近いという理由で

 

金沢の大学を選んだ。


 

あの事件があってから

 

中学の途中から高校までは

 

人と会話することができなかった。


 

いざ大学に入学して

 

友達を作ろうと

 

話しかけようと思っても

 

どう話したらよいのか全然わからなかった。


 

周りのみんなは

 

サッカー部やテニスサークルに

 

入ってて、いわゆる大学生というような

 

生活をしていて、すごく楽しそうだった。


 

自分も昔から運動は好きだったし

 

いろんなサークルを

 

見て回りたかった。


 

最初に入った学科で

 

友達ができずに

 

サークルにすら入れなかった。



 

どうして友達ができないのか?

 

どうして会話が続かないのか?

 

ひたすら悩んでいた。



 

もう気がつけば夏休みに入っていた・・・



 

お盆で親戚が集まって

 

親戚のおじさんに

 

今の自分の悩みを打ち明かした。


 

おじさんも昔は全然

 

コミュニケーションができなかったと聞いて

 

同情してくれた。



 

しかし

 

そんなおじさんは、実は

 

大手企業のトップ営業マンである。

 

どうやって

 

今のコミュニケーションスキルを身につけたのか

 

教えてほしいと、お願いした。


 

おじさんは

 

「一から教えてあげるよ!」

 

と言ってくれて


 

こんな困っている自分に

 

どうしたら友達ができるのか。

 

どうしたらうまく会話ができるのか。

 

おじさんの人生でつちかった

 

いろんなテクニックを

 

ひたすら教えてくれた。


 

そこから・・・


 

最初は戸惑っていたが、

 

教えてもらったことを

 

一つ一つやっていく中で





 

結果的に

 

今ではテニスサークルに入って

 

部長にもなってみんなから

 

慕われるキャラになった。



 

また

 

バイト先での

 

他大生とも仲良くなり

 

今では親友と呼べる人もできた。



 

就職2年目

 

今では大手電機メーカーの営業を担当している。


 

昔は友達もいなくて

 

うまく人と話せなかったと

 

同僚に打ち明けると

 

まあびっくりされる。


 

あのおじさんに

 

話しかけていなかったら

 

今頃どうしていたことか。



 

おじさんにあって

 

本当に人生が変わった!!!


 

ここまでこれたのは

 

僕に一から会話術を教えてくれた

 

おじさんのおかげだ。

 

当時の僕でも実践出来た

 

おじさんの会話術は

 

同じ悩みを持つような人達に

 

ぜひとも知ってほしい。

 

一人でも多くの

 

コミュニケーションに

 

コンプレックスを持つ人に

 

伝わってほしいと

 

僕は強く願っている。


 

話は以上になりますが、

 

「どうやって会話術を身につけたのか?」

 

ということを

 

知識編と実践編に分けて

 

詳しくお話ししていきます。


 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。