昨夜は突然の発表、申し訳ありません。
どうも綺麗に纏まらないので
そのままを綴ろうと思います。
昨夜twitterにて解散の発表をしました。
これを見てる方々はある程度
内容を把握してくださっていると思うので
自分視点の話をここではさせてください。
約6年前、高校時代から面識のあった事から
幾つかの偶然が重なり、メンバーのタカ
そして元メンバーの爽太に誘われたのが
Dear ESPACIAの始まりでした。
6年という長い年月の間
数え切れないほどのライブ活動を行い
CDを全国に発信してツアーを周ったり
沢山の人に出会えたことは自分の中で
何よりの宝だと本当に思っています。
ただ、CDをリリースする前頃から
バンド内での活動方針や、曲作りに関して
殆どの意見を自分から発言することは
とても少なくなっていました。
彼らとやって行けば面白い景色が見れる。
それがいつからか
ついて行けば面白い景色が見れるはず。
そしていつのまにか
面白い景色まで連れて行ってくれる。
と、責任のほとんどをメンバーに押し付けていました。
高校時代からの先輩とバンドを組む「期待」は
段々と時間が経つにつれて「怠惰」へと変わり
それを許してくれる関係にも甘えていました。
振り返ってみれば爽太の脱退からワンマン
そしてたいせいの脱退に伴う活動休止。
変化のチャンスをいくつも逃したことこそが
解散のそもそもの原因だと私は思っています。
どうするべきか どうありたいかを
惰性の日々の中で完全に見失っていました。
昨夜、タカが自身のblogで
「ケントのモチベーションを維持させられなかったのは自分の実力不足でもある。」
と記述していましたがそんな綺麗な話ではなく
単なる私の怠慢でありその延長での今回の結論に至ります。本当に申し訳ありません。
なぜ、こんな格好もつかない内情を
赤裸々に綴ろうと思ったのか
それはこれから話すことにあります。
まず、活動休止から昨夜の解散発表に至るまでに自分の中に一つ、芽生えたものがありました。
それはタカが自身でバンドを組み
ボーカルを務めることを知った時からの話です。
私も人のことを言える立場ではないですが
彼は決して歌が上手いわけではありません。
ですが、活動休止ながらも自分の可能性を模索し挑戦する姿、イベントを開催したり
CDをリリースする姿からそれは伝わりました。
言葉にしなくたってバカでもわかる
音楽に対しての熱量の違い
それを認識した瞬間に自分は
見えない隔たりを改めて感じました。
それからの再始動についての話し合いでは
「再開する際は全国にリリースした頃のようなモチベーションで復活をしたい」
という彼の申し出に対しても、やはり自分は
素直に頷くことが出来ませんでした。
この熱の差に対しては
ただ、圧倒的に自分が弱過ぎました。
そして解散を決めたあと
少しだけ自分の中に残っていた
小さな炎の燃えカスを頼りにして
今一度自分のやりたかったこと
好きだったモノを深く思い返してみました。
バンドを始めたキッカケではなく
音楽を好きになったキッカケは
なんだったんだろうか?と。
そんな中、中学生の頃に仲間内のみんなで
いつも歌っていたJ-POPを聴きかえすうち
ふと、初めて曲を作ってみようと思いました。
誰かにやらされるでもなく
誰のためでもなく
自分のために、ただなんとなく。
1から始めひとり黙々とパソコンに向かい
試行錯誤しながら70%...80%...と
曲が形になるにつれて芽生えたのは
曲作りの楽しさでも、喜びでもなく
全国リリースの際に自暴自棄になりながらも
何曲も必死に仕上げてくれていたタカへの感謝
なにもできてなかった当時への自責の念
そんな思いでいっぱいになりました。
この事を彼には直接伝えた上で
皆様にも文章ではありますが
全てを話したいと思い
ありのままを書かせていただきました。
稚拙な文章で申し訳ありません。
ただ、この芽生えたものを
変化と呼ぶのかはまだわかりませんが
解散を決意した後ふとしたキッカケで
音楽に改めて向き合い感じたこと
自分の意思で挑戦する熱意の再燃
曲作りに新たな可能性を見つけれた以上は
もがいてみようと思います。
これが、昨夜発表した
「前向きな解散」と表現した理由です。
そして、これまでの活動に対して
しっかりとケジメをつけるために
解散イベントを行うことも決めました。
終わりに向かうバンドから
伝えられるものなんてあるんだろうか?
あるとするならば、ここまで読んでくれた
あなたには直接伝えられますよう
最後のステージを全力で挑みます。
長文駄文ではございましたが
もう、これ以上自分を嫌いにならないために
そしてこの決意が消えないように
此処に全てを書き残しておこうと思います。
読んでくださりありがとうございました。
kento