前記事の続きです
勝海舟記念館で
勝海舟の生涯を学習した後は、
記念館の裏手にある
勝海舟夫妻の墓へ
勝海舟は、
明治32年1月19日死去
五輪の形式は、
海舟が生前に図案化して指示したモノ
『海舟』の文字だけを
水輪に刻ませています
(写真右側)
文字は、
徳川慶喜の筆だそうです
左の石塔は、
海舟の妻・たみ(民子)の墓
たみサンは遺言で
「勝のそばに埋めて下さるな
わたしは小鹿(長男)のそばがいい」
と言い残したものの、
養子・精くわし(徳川慶喜の十男)の一存で
海舟の隣に葬られたそうです
たみサン、苦労されたから
亡くなってまでも
そばに居るのは
イヤだったんだろうね~
それを知っちゃうと
複雑な気持ち
っつか、養子の精
空気を読めよっ
勝海舟夫妻の墓の近くには、
明治10年に戦死した
西郷隆盛(南洲)を惜しんで
勝海舟が明治16年に造った
≪西郷隆盛留魂祠≫
海舟が西郷隆盛を悼み建立した
≪南洲留魂詩碑≫
表面に西郷の作詞を、
裏面には海舟の西郷への述懐(思い出)が
刻まれています
海舟の門下生の1人だった
徳富蘇峰に詩を書いてもらい建てた
≪南洲海舟 両雄詠嘆之詩碑≫
海舟と西郷によって
江戸庶民の命が救われた偉業を称え、
両雄を偲ぶ内容が刻まれています
勝海舟を堪能して
帰る頃には
来た時とはまた違った
洗足池の景色が
見られました
ちなみに・・・
4年前には
勝海舟生誕の地を
訪れています