吉原神社を参拝した後は、
歩いて2~3分の
吉原弁財天へ・・・
こちらは、
1923年(大正12年)9月1日の
関東大震災で多くの遊女が
焼死・圧死・溺死した場所
敷地の周りには、
赤い神社幟がイッパイ
その中に
作家の家田壮子さんの
お名前を発見
調べてみたら、
こちらで吉原遊女の供養を
25年も続けているそうです
亡くなった遊女たちを供養するため、
1926年に建立された
吉原観音像
関東大震災の際、
遊郭に閉じ込められていた
多くの女性総勢500名近くが
この地にあった弁天池に逃れ、
溺死
助かったのは、
十数名だけだったそうです
その後 弁天池は、
昭和34年
現在のNTT吉原ビルの
建設工事に伴い
埋め立てられてしまいました
今はキレイな鯉が泳ぐ池が
あるだけです
境内には、
関東大震災の殉難者を
慰霊する碑が
幾つも並んでいました
本宮社殿の壁一面に
東京藝術大学の学生さんが描いた
優美な壁画
独特な雰囲気が漂う
吉原弁財天
江戸時代、
江戸時代、
遊女は高嶺の花的存在であり、
庶民のアイドル、
女性のファッションリーダーだったのに、
その廓の中で実際は
絶えず女性の不幸な
人生ドラマが繰り返されていた
そして悲惨な最期と
吉原が辿った歴史・・・
歴史に翻弄され、
犠牲になった全ての女性に
合掌