「ブロニスワフ・ピウスツキ伝 アイヌ王と呼ばれたポーランド人」沢田和彦著 | すなぼこ日記

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日々是好日 

戦後、樺太から北海道に逃れてきた人の話を何度か聞いたことがある。

日本人が樺太アイヌの人達と交流していた話も聞かせてもらった。

また、ロシア兵に追われて、やっとの思いで逃げて来られた話もあった。

ロシア兵に捕えられ、シベリアに抑留されて厳しい労働の末に

無事、日本に帰ることが出来た人も大勢いた。

 

そんな時代がくる少し前のこと。樺太(サハリン)は北半分がロシア領で

南半分が日本領であった。

 

 

直木賞を受賞した川越宗一さんの「熱源」を読んで、

 

樺太アイヌやポーランド文化人類学者であった

 

「ブロニスワ・ピウスツキ」に興味を持った。

 

 

調べてみると、昨年の12月に出版された本があった。

 

今年の4月に図書館に入荷したばかりの「ブロニスワ・ピウスツキ伝」を借りた。

 

副題は「アイヌ王と呼ばれたポーランド人」である。

 

 

ピウスツキは当時ロシア領だったリトアニア生まれのポーランド人である。

ロシア皇帝暗殺未遂事件に連座してサハリンに流刑された。

流刑の身であったが、民俗学調査研究することを許されていた。

そこで出会った先住民族や樺太アイヌのことを詳細に調査している。

彼が集めた記録は失われつつあった少数民族の生活文化を今に伝える貴重な遺産となっている。

 

 

彼の活躍は日露戦争や第一次世界大戦、ロシア革命にいたる激動の時代である。

 

そして、日本に残された樺太アイヌの妻子。子孫は今もどこかで生きていると思われる。

 

彼はアイヌ人だけでなく、金田一京助や二葉亭四迷など多くの著名な日本人と交流している。

 

 

なによりもアイヌ民族の貴重な資料を多く残してくれた功績は大きい。

 

北海道大学歯学部の協力で瘻管蓄音機を使い、アイヌ人の声(歌?)を録音している。

 

当時としては、とても貴重な録音である。

 

 

白老町アイヌ民族博物館に「ピウスツキ像」がポーランド共和国文化・国民遺産省から

 

寄贈されている。(現在はウポポイに設置されている。製作は富山県の会社)

 

ピウスツキは善良な優しい接し方をし、ほがらかな笑みで人々と交流していたそうだ。

 

そういう人柄だったので、多くの「もの」を手に入れたという。

 

人柄の良さゆえに、通常は異人には明かさない秘儀を

 

たくさん伝えてくれたという。

 

だからこそ、遺産と呼べる貴重な資料が残された。

 

アイヌの遺骨を研究のためだという理由で

 

多くのものが持ち出され、返還されないままになっている事実もある。

 

ピウスツキの調査は良き人柄もあり、良き調査研究であったようだ。

 

やはり、大切なものは「良き人柄」である。

 

心を大切にした交流を続けた結果、貴重な資料が多く残された事に感銘を受けた。

 

読み応えのある一冊であった。