麻雀とアニメと野球と呪われし天鳳雀士ao

麻雀とアニメと野球と呪われし天鳳雀士ao

天鳳の牌譜などを使っての麻雀考察や、思うことなどを書いていきます
アニメや野球、その他時事ニュースについても書いていくつもりです。
アオとかアオアオとよんでください(・ω・)/

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山本昌選手が49歳で登板、勝利しました。


49歳で現役ということだけでも凄いですが、5回無失点とまだ役にたてる力があるというのが本当にすばらしいですね。



小学校に入る前から野球を見ていましたが、当時のスター選手はほとんど引退してしまい、現役選手は数えるほどで、寂しいものです




しかし当時からベテラン選手だった昌選手がまだ続けてくれているのはうれしいものです。



頑張って続けてほしいですね。





この間「新テニスの王子様」がブックオフにあったので、買ってみました。



「週刊少年ジャンプ」で連載していた時からかなりおかしなことにはなってましたが、一段と超人的なテニスをやっていました。



テニスボールで相手をふっとばすとか日常茶飯事だし、十字に二本しかガットがないラケットでボール打ってます。

最近は時空を切り裂けるようになったとか。





黒バスがかわいく見えました
Σ(゚д゚;)
なんかつい最近「working!!」の3期の製作が決定したって喜んでたんですが……



連載終わるらしいです……



喜びより悲しさが圧倒的に上回りました
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。




アニメ一つ、漫画一つ終わるって知ると喪失感半端ないですね……
「working!!」の3期が製作決定になったそうです。

といっても発表になったのは8月10日だそうです。



自分「working!!」は日常系の中で、かなり好きなほうなんですが、一週間以上たって気づくなんて遅すぎです……



まぁ製作決定はうれしいニュースです。

楽しみにしておきます
(‐^▽^‐)



ネット麻雀には、どこにも時間制限がありますね。



実はこれ、自分はだいぶ大きな利点だと思っています。



麻雀というゲームが思考によるゲームである以上、当然制限時間は打牌精度に直結するわけですね。



基本的に思考時間が長ければ当然いい打牌をしやすくなり、思考時間に差があれば、有利不利が生まれてしまいます。



リアルで打つ時は、「できる限り早く打つ」とか「過度の長考はマナー違反」という曖昧な基準になってしまう場合が多いです。


するとどうしても、思考時間に差が生まれてしまいます。


「自分は打牌遅いんじゃないか」という不安も、少しありますしね(自分だけでしょうか?)。


できればリアル麻雀も、打牌時間を制限するのが理想なのですが、4人でやるうえ鳴きなどの要素があって、対局時計なんてものはうまく作れないでしょう。

そのうえ一回の思考時間は長考で5~10秒ってところのゲームなので、
思考時間を設けた場合、そこに占めるツモや打牌の動作が多すぎで、うまく機能しそうもないんですよね。


囲碁・将棋とかなら、アマでも持ち時間30分とか、一手30秒とかなので、指して時計押すまでの時間とかそこまで長くないですから、問題ないのですが。



ツモとほぼ同時にカウントが始まり、打牌とほぼ同時に時計が止まるネット麻雀は、そういう点で理想ではあります。



リアルでもツモや打牌を感知して、時計勝手に進めてくれる全自動卓がほしい!!!!


需要ないだろうけど……
(^_^;)
最近「あえて」とか「よる」とかいう言葉が気になることが多いです。


スポーツの解説とか、麻雀の話とか、その他もろもろの説明をする時とかです。



状況に合わせて臨機応変にすることは大切です。特に考えもせず「よらない」「あえない」とするのは危険でしょう。


しかし同時に何でもかんでも「あえ」たり「よっ」たりするのも危険です。


特にもともとあったセオリーや今までの考えを、「状況」で完全にふたをしてしまう可能性があります。


現在ある状況セオリーどのくらい影響を与えているのか、セオリーを覆すほどの影響力今の状況にあるのか、考えなくては行けません。




簡単に「あえ」たり「よっ」たりするのは良くないですよ
(・ω・)/






ただこれは、逆もそのまま言えるんですね。



麻雀では、結構統計データに頼ることが他と比べて多いと思ってるので、こう書いてしまうのかも知れません。


セオリーが状況に完全にふたをしてしまっている場合も良くないですね。


セオリーでどこまでの状況に対応でき、影響力が及ぶかという、逆も忘れてはいけないです
(‐^▽^‐)




ポツダム宣言が受託されたのがこれくらいの時間だそうです。



第二次世界大戦、太平洋戦争が終わって69年になるわけです。



逆を言えば69年間日本は戦争してないわけです。



今自分たちはわずか69年の平和の中に生きているわけですね。


はだしのゲンとか読んでいると、戦後もしばらく厳しい状況が多かったみたいですから、平和なのはもっと短いでしょうか?


まぁ今の世の中でもいくらか問題はあるわけですが。



現在、集団的自衛権などで、憲法を改正しようとしたり、解釈を変えたり、などのことが起こってますね。



真剣に考えなければならない時が来ているかも知れません。
商品を一週間以内に返さなければ、万引き犯の写真を公開する、という警告をある店が出しているのが、話題になっているらしいです。



万引きは2013年では12万6000件起こっており、多発するところでは、売り上げの5%もとられているとか。



実際件数が多いと、店の利益だけでなく、経営できるかどうかにもかかわってくるそうです。



物が返ってこないと、泣き寝入りするしかないみたい。



ただそこまでのこと(写真の公開)をしていいのか、という話です。



万引きした人だって人権あるし、罪に対して不当に大きい罰を与えるべきじゃないわけです。



公開すれば多くの人の目に触れるわけで、罰としてはでかすぎる……



店にだってそんな権限ないわけですしね。


正しく調査してるわけじゃないし、もしかしたらその写真の人じゃないかもしれない。


大きな証拠があるからやろうとしてるのかも知れないですが。


現状この泣き寝入りに対して、うまい対策がなされてないことも事実。



でも現状を解決する対策なんてあるの?というのも思うところ。


公開は明日らしいですが、どうなるのでしょうか?
「牌の安全度」についてです。

前に本とかサイトとかで、「牌の安全度」について書いてあるところをいくつか見ました。





牌の一般的な安全度を知っておくことは大切なことです。
場合によって変わることはあるものの、場による影響が小さい時にはそのまま使えますし、どの程度の場の影響があれば安全度が逆転するかの目安になるため、覚えておいて損はないものです。



しかしその分け方について、少し「あれ?」って思ったことがあります。



分けるって言っても細かすぎると覚えにくいので、細かすぎても簡単に場況で逆転するので、どのサイトや本も多くて10段階くらいにしか分けていません。


実際それで十分だと思うのですが、疑問に思うのは「4枚目の字牌」についての記述。

星5つとかで安全度を表現してるのに、
現物:星5つ
4枚目字牌:星4つ

となっていたり、

現物の安全度:10点
4枚目の字牌の安全度:9点

となっていたり。



いや、実際現物は降りる対象には絶対当たらないですし、4枚目の字牌といえど、国士に当たりますからね。



ただ5段階10段階で分けようとしてるのに、これを1項目に入れるってのは……ということです。



確かに0とわずかでもある、っていうのは違うとは思いますが……。





間違ってはないです。ただ少しその書き方に疑問があるなぁと。


降りるときに現物なら切るけど、4枚目の字牌は切らないって展開はほぼないですしね。

国士警戒しないわけではないですが。






・現物
         ←この間で戦略変わることほぼない気がします
・4枚目の字牌






4枚目の字牌なら、他家が攻めてきたときのために残すことはありますが。


このての認識を正しく持つことはある程度必要で、持っていないと無駄に大きく警戒してしまい、降りるべきかの判断を誤って、攻めるべき手を降りてしまうこともあるかもしれません。
「本人の立場にたったら、そんなこと言えるのか」
「そういう経験をしたことないから、そんなことが言えるんだ」



という考え、発言をたまに聞きます。



確かに相手の立場を理解できていなかったり、経験が少なかったりした場合の発言はまずい場合があります。



ただ今回思ったことは、「ある立場」に立ったことにより単に客観性を失ってしまっている場合があるのでは?という話です。






例えば税金について「あがると苦しい人もいるだろうが、財政厳しいなら上げるしかない、正直たった3%上がるだけ」に対して

「貧しい人の気持ちがわからないから、そんなこと言えるんだ」とか







例えば出生前診断について「障害がある(高い)とわかったら中絶するなんて、そんな差別が許されるわけがない」に対して

「そういう子を産み育てていく両親の立場に立っても、そんなこと言えるのか」など。
(例の内容については突っ込まないでください)




相手の立場に立つことは大切ですし、そこに立つことで大きな見落としに気づけることもあります。




しかし、こういう場合の上記のような発言は、そのことを経験した人、あるいは立場に立ってみたと発言する人は、純粋に客観的立場を失ってるだけじゃなかろうか、ということです。



重要な経験をすれば考え方は変わりますし、それを想定して、別の視点でみることで見えていなかったものが見えることは、よくあることかも知れません。



しかし、上のような発言は、「別の視点から見てみる」ということではなく
文字通りその人の立場に立つ」ということを想定しているのでは……と思えてならないのです。




その人の立場に立てば……色々な感情がいくぶんかは想定できますし、「立場に立ったら」どんなにその人の理屈が通らない場合でも、受け入れられない、受け入れたくないことがあるでしょう。




まとめると



相手の立場に立つのは大切ですが、

文字通りの
相手の立場に立つ」と、あらゆる筋の通らない考えもいくぶんか納得できてしまい、

相手の立場に立てば~」という考えは相手の立場に立って主観に入れば客観性を失えば成立しているのであって

文字通りの相手の立場に立つ」ことが大切なのではなく、
視点を変える」「別の視点を知る」という意味で重要なことであると考える、ということです。