こんにちは。
ご無沙汰してます。
もう既に、日本のメディアで発表しているから、知ってる人もいるよね。
実は、12月8日のトレーニング中に前十字靭帯損傷の怪我をしました。
本当であれば自分の公式ブログで真っ先に伝えるべきだったのかも知れなかったけど、
現状を自分で把握してから伝えようと思ったから遅れてしまった。
最初に、状況から。
アメリカから12月6日にヨーロッパに戻ってきた。
体調的に、少し疲れもあったけど、いつもと変わらない状態。
1日休みをとり、12月8日からスキー練習をスタート。
スキー場の関係もあって早朝練習。
雪が少し乾いた感じの雪質で、スキーのエッジが引っかかっていたのを覚えてる。
自分でも、初日だからゆっくりスキーを馴染ませようって考えていた。
2本足慣らしをしたから、3本目からは少し強度を上げて行こうと思った時に怪我してしまった。
スタートして10旗門くらいの所で雪に足を捕られた。
予想以上に内側に膝が入ってしまった事が怪我につながったと思う。
違和感を感じ、直ぐに滑るのを止めた。
コース下にあったレストランで膝のチェックをし、
その段階では自分的にも痛みもなかったし、なにより前回怪我した時とは全く違うフィーリングだった。
全日本のトレーナーやアメリカチーム帯同の医者に検査してもらったが、その時は異常がなかった。
でも、俺は凄く筋量が多いので、怪我して直ぐは筋肉の力で緩みを感じない事があると知っていた。
だから、練習後に病院に行ってきた。
自分としてもMRIを撮って安心したい気持ちもあったから・・・・。
違和感を感じてから4時間。膝に腫れや痛みを感じなかったので不思議だった。
だから、自分でも衝撃による違和感だったのかな?って思った。
でも、診察で医者から言われた言葉は全く逆。
その瞬間、頭を抱えて溜息が出た・・・。
本当に信じたくない・・・頭の中で何回も間違いであって欲しいと繰り返した。
スタッフの皆も下を向いていた。
俺は、皆が残念がる姿が一番嫌いだし、自分がその原因になるなんて本当にやだ・・・。
受け入れたくない気持ちのままホテルに帰った。
部屋に帰って、色んな事が頭の中をグルグル回っていた。
初めて膝を怪我した時の事を思いだした。
あの時も「何で俺なの?」「絶対に切れてない!」「なんでもする」「・・・・」。。。
こんな感じで、自分の膝の無事を神様に祈り続けたのを覚えてる。
でも、どんなに祈っても現状が変わる事はなかった。
最初に怪我をした時、怪我を乗り越えた事もなかったし、自分自身が自分に失望していた。
だから、今が不思議。何故か、あの時のような全てを失った気持ちにはならないんだ。
きっと乗り越えた経験が自分を強くしちゃったんだろうね。
話が少し脱線しちゃったね。
最初にMRIを撮った病院は、休日だった事もあって整形専門の医者じゃなかった。
だから、帰国を決めるには決断が早過ぎると感じ、チーム側に再検査をお願いした。
チームのスタッフは一生懸命、色んな所に連絡をしてくれて、なんとか最善を尽くそうとしてくれていた。
俺が何度か診察してもらった事のあるオーストリアの整形専門医のフィンクとも連絡が取れ、
12月11日の夕方に診察が決まった。
彼が「切れてる」って言えば、現状を信じるしかない。
休日中、運動ができない事で色んな事を考えた。
自分でも不思議なくらい客観的に4年間を考える事ができた。
もちろん、靭帯が何もない事が一番!だって凄く調子も良いし、自分の記録を更新するに値するシーズンだと感じていたから。
でも、現実、怪我をしたら?って事も考え、並行して日本に帰国してからの事も考えた。
本心は残りたい・・・もっとやりたい事だってあるし、なにより皆と戦う事が好きだから。
昔は、自分自身が弱かったから落ち込んでる自分で精一杯だった。
人の事なんてぜんぜん考えないで、いつまで経っても「なんで俺なんだ」ばっかりで・・・。
あぁ~、また脱線しかけた。
12月11日(月曜日)
フィンクの診察の日。
彼は、何度も会っているので、気軽な感じでクリニックに招き入れてくれた。
俺の膝を手術してくれた内山先生は、「腕の良い医者ならテストで判断できる」って言っていた。
フィンクはテストを始め、30秒もしないうちに結論を出した。
「やっぱり、切れてるね」
覚悟はしていたけど、彼の言う事で100%手術する事が決まった。
フィンクは凄く残念そうに俺を見ていた。
彼は、オリンピックまでの4年間を知っているからだろう・・・。
診察は10分程度で終わり、最後に一つだけ質問した。
「前回、怪我をした時とは全く感じが違うのはなぜ?」と質問した。
フィンクが言う、前十字靭帯以外の損傷が全くないからだと。
これは、不幸中の幸いで、普通は他の箇所も損傷する。腫れ、痛み、水、熱、全ての症状が出る。
実は、怪我をして少しだけ水が溜まってる感じはするが、前に怪我をした時のような症状がない。
歩けない、膝が曲げられない、パンパンに腫れる、熱が取れない、って症状がない。
フィンクが言うには、手術をしても術後の状態が大きく違うと言っていた。
自分でもそう思う。
実は今、日本に帰国する飛行機の中。
トリノオリンピックを終えて、飛行機の中で4年間をふり返りながら書いたブログを思い出してます。
前々回のソルトレーク五輪後に左膝前十字靭帯断裂の怪我。
そこから始まったトリノ五輪への4年。
そして、バンクーバー五輪の始まりが、まさか、また怪我から始まるなんて思ってもみなかった。
やっぱり運命って決まってるのかなぁ?
俺に与えられたストーリーなんだろうね・・・きっと。
俺がやっているスポーツは、毎年、何人もの選手が怪我で出ない事がある。
自分が選んだ競技に誇りを持ってるし、自分に与えられた壁はやっぱりクリアしたい。
まったく面倒な選手だね・・・俺は。。
今、一番辛い事は、この現状を、ファン、スポンサー、親族、メディアに伝えなくてはいけない事。
俺は、皆が知ってるようにスキーが職業。
世界に挑戦できるのも、ファン、スポンサー、親族、メディアの力があるから。
プロとして存在価値もそこにある。
若い時から「プロ」って事に拘ってきたし、みんなの期待や信頼を数字で届けたいって強く思ってきた。
だから、今シーズンに数字を届けられない事が悔しいし、辛い。
ファンの皆へ。
突然の報告が怪我でごめん。
怪我をしても、しなくても、バンクーバー五輪には挑戦する。
今後は、手術、リハビリ、私生活のブログになってしまうけど、
自分がどのようにして次のシーズンを迎えるのかを見てほしい。
どんな時も、皆からのメッセージは力になります!
これから色んな事があると思うけど、皆と一緒に4年を過ごせたら幸せです。
いつも応援ありがとう、、。
スポンサーの皆さんへ。
今季も、私を信じてサポートして頂き、本当にありがとうございます。
凄く残念な報告になってしまいましたが、しっかりと来期に向けて準備をしたいと思います。
私はプロとして、期待に応える事が仕事だと思っています。
試合には出る事ができませんが、皆さんの要求に
違う形でも応えれるように頑張りたいと思います。
もちろん、来シーズンは期待を裏切らないように毎日を大切に使いたいと思います。
今後とも宜しくお願いします。
マスコミの皆さんへ。
トリノ後に、このような報告をしなければいけない事に悔しさがあります。
シーズンに入ってからも、テレビ、雑誌、沢山のオファーを頂き、本当にありがとうございました。
とにかくバンクーバー五輪を目指して頑張っていきますので、今後とも宜しくお願いします。
長い文章になってしまいました。
怪我をしましたが、自分を信じて頑張ります。
ブログを見てくれてる人も、色々な意見があると思います。
自分にとってこの怪我は
通過点にすぎないと考えてます。
皆さんにしっかりと自分の過ごした時間が伝わるようにブログをやってきます。
kentaro..