ついに旅行最終日。残された時間に鑑みて無謀と気づき、アッピア街道に行くことは断念。現実的な観光ルートを考え、真実の口→ヴィットーリオエマヌエーレ2世記念堂の展望台(高いところからの眺望)→おしゃれ時計屋さんというルートを巡ることに決めた。

それでも、朝からダッシュダッシュダッシュだった。

軽く朝食を食べ、観光へ向かう。真実の口がある教会には開館10分前ほどについたが、10組ほどの待ちがいた。ほとんど日本人で、ミーハーな民族めと思ったが、自分も日本人である。

 <真実の口がある、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会>

 

<真実の口>

 

案内慣れしているスタッフが流れ作業で写真を撮ってくれたので、10分もかからず通り抜けた(入場料は不要だが、募金箱的なものがある)。真実の口を通過すると教会に通り抜けてお土産ショップがあるという順路になっていた。ここはローマの休日で有名なだけで、特に歴史がある場所ではない。

<教会内部>

 

次はヴィットーリオエマヌエーレ2世記念堂へ。運よく、見張りの兵隊さん?警察?が交代する様子を見物することができた。

<ヴィットーリオエマヌエーレ2世記念堂>

 

有料のエレベーターで屋上へ上がると、わざわざいった甲斐のある素晴らしい眺め。

 

 

コロッセオ、フォロ・ロマーノなど含めローマを一望できるスポットだった。

 

 

 

冷静に考えると2人で18ユーロとかとられたかな?ということは3500円くらいとられているわけで、気にせず金を使ってるけどきついな。

そして次の時計店に向かおうとするのだが、出口が見つからない。無駄に記念堂内を一周し、出口を係員に聞いてようやく出ることができた。ここからは脇目もふらずに時計店へ早歩き。前をいく奥さまが早すぎて、追いつけず、何度かちぎられそうになった。さすがの、いざという時の爆発力である。あの脚のどこにそんなパワーが?

 

へっとへと&あせだくで時計店へ。

<CERAMICA RAKU>

 

 

あらかじめこれにすると決めていたデザインのものをすぐに購入し、集合の11時まで23分を残して帰路へ。時間に厳しいドライバーだと聞いていたので、これも非常に厳しいレースだった。早すぎてほんまにおいつけない。筋肉量では勝っているはずなのに何でなん?

最後の道は体力が限界で、イタリア最終日だというのに名残惜しむ余裕はなく、周囲の景色をまったく見られていなかった。

 

なんとか3分ほど残して集合に間に合い、Uさんとドライバーと合流。ホテルをあとにした。帰りの車内では、きさくなドライバーさんが話を回してくれて最後まで楽しい旅行だった。(ドライバーのおじさんは1年前にウクライナの人と結婚した新婚さんらしい。イタリア人らしく冗談を飛ばしまくっていた。たとえば、コロッセオを見て「あれ、俺の家」だとか、ずっとそんな調子)。楽しいんだけど、イタリア人がみんなこんな陽気なら自分のこんな性格柄永住するのはキチいなと感じた。

 <移動中の風景>

 

雑談の中で、へ~ってなったのが、イタリアでは“パンを使って残ったスープを掬って食べる”という動詞が存在していて、Scarpetta(スカルペッタ)っていうらしい。勉強になった。

 

さて、フィウミチーノ空港に到着。

到着直前までは、もう日本に帰りてぇーってなっていたけど、いざ帰るとなるとやはり寂しくなるな。最後までUさんは見送ってくれた。荷物検査を潜り抜けるまでその場から離れずにいてくれた。ここにきて本当に名残惜しかったが、ゲートをくぐった。僕たちはイタリアをあとにするのだ。

飛行機が立つまでの間に腹ごしらえをした。もうピザとパスタは絶対に食べる気になれなかったから、ハンバーガーにした。正直ハンバーガーもきつかったが、他の店も眺めて消去法で選んだ。もう、たまらなくお茶とだし汁を飲みたい。ハンバーガーはイタリアンとアメリカンの2つの味を選択できたが、ここは一応イタリアンにしておいた。

 

あとは500mlのモンスターも飲んだ。これらの合計で25ユーロくらい(4000円くらい)だからもう感覚がおかしくなってきた。

 

やはりイタリア料理というか、イタリアで食べるものはデカ盛りだから、控えめに頼まないと食べきるのは厳しい。ハンバーガーもビッグだった。

きっと日本の居酒屋にイタリア人が来たら、一品の小ささに文句をつけたくなるだろう。ターミナルを移動してなんとか搭乗口を見つけた。機内でのおやつを道中の売店で購入したが、空港内では封を開けてはならず、機内に入るまでは開けてはならないとのことだった(たしか機内に入ることで免税になるそうで、面白いなと思った)。

搭乗口までの間に、ソファーを占拠してゴミをまき散らしながら寝ているアジア系の人をみて、頼むから日本人以外であってくれと願った。

 <帰りの飛行機へ>

 

 

飛行機に乗り込むと、日本に行くイタリア人と、日本へ帰る日本人が入り混じっていた。

席に座ると、隣はスペイン人の男性。なぜ分かったかというと、あちらから気さくに、ローマは気に入った?と英語で声をかけてくれたからだ。短い時間だったものの、自分がこれだけ外国人の方と話したのは初めてだった。話を聞くに、1ヶ月間ほど日本に滞在するらしい。東京、大阪、京都に行くほか、沖縄や北海道を差し置いて、岐阜高山、そして我らが金沢がスケジュールに入っていた。なんとも光栄なことだ。兼六園や茶屋街、21世紀美術館をおすすめしておいた。日本のアニメはスペインでも有名なようで、ワンピースやドラゴンボールが通じた。アニメって本当に偉大な文化なんだなと実感することができた。海外に行ったときに日本の良さ・すごさを実感することができる。

彼からはスペインの観光地を教えてもらった。やはり一押しはサグラダファミリアだそう。また、バルセロナは海が綺麗な街らしく、いつか訪れてみたいなと思った。そういえば帰り空港まで運転してくれたドライバーさんも、スペインは料理がうまいと言っていたな。フランス料理のことはこき下ろしていたけど。そうして帰りの旅ははじまった。帰りにAmazon Primeで絶対に見ようと思っていたローマの休日は、イタリアでは有料となっていたため見られず、やむを得ず黒人ジャズ奏者と白人ドライバーの旅を描いた実話に基づくストーリー「グリーンブック」を見た。

そのあとはほとんど寝ていたが、途中途中起きてカザフスタンの夜景を見るなどした。

 

帰りの旅は11時間ほどで、行きに比べると格段に短く感じた。

そういえば帰りの機内食はパン一択だったな。そして今思えば、行きの機内食はフィッシュorビーフではなく、イタリアンorジャパニーズだったなと思い返していた。

 

気づけば日本まで1時間ほどになり、飛行機の窓から外を見ると日本の岸が見えてきた。約1週間の期間で、移動は10時間程度の飛行機の旅ですらこの気持ちだ。昔、遣唐使の人たちが帰国し、日本の岸が見えてきた時の安堵感、感動は計り知れないな、と想像していた。

 

羽田空港について、トイレに敷設されているウォーターサーバーの水を飲むと、なんとうまいことか。

日本に来たイタリア人観光客の人たちにも、まずはこれを飲んでほしいなと思った。

<羽田空港。JALの飛行機を見てホッとする>

 

帰国後にチョイスした日本食は、牛カツだった。店内で流れているOfficial髭男dismの「TATOO」に、日本やん!となり、アサヒビールの瓶ビールを飲むと口に広がる麦の香りに感動。日本食、うますぎる。

 

牛カツを口にすると、味が薄く感じるレベルだった(それほどにイタリア料理は濃かった)。わさびやソースはイタリアの調味料と原料が違うからか、食べると不思議な感じがした。自分は日本人なのに。でもその味に脳が喜んでいるのを感じた。日本に帰ってきて数時間は不思議なことの連続で、日本人が話している日本語が全部外国語に聞こえた。店内で流れる日本語の音楽が不思議。無料でうまい水が提供され、おかわりができる不思議。

 

安定だが、トイレの綺麗さはやはり素晴らしい。

待ち時間は、限界を超越した脚を癒すべく、マッサージチェアのお世話になり、その後はソファーに寝転んで「VIVAN」最終回を見た。集中して見たかったのに3回くらいは意識が飛びかけた。

そして小松行の飛行機へ。エコノミーよりワンランク高いシートを予約していたので、広々としていた。隣の席はいかにも会社役員っぽい雰囲気を醸したおじさんで、「なんやねんこの若造は」とか思われていないか気がかりだった。小松空港に到着したのは日が沈んで地平線がまだ少しだけ赤くなっているような時間帯。涼しくて驚いた。(帰国後まわりの人から聞いた話だと、旅行期間中、ヨーロッパが熱いとニュースになっていたらしい。どうやらイタリアが特別暑かったということらしい)

スーツケースの受け取り待ちをしていると、修学旅行帰りらしき地元の中学生がわらわらと居て、それを見ていると、旅が終わったんだなという実感が湧いてきた。

 

 

車を駐車場に取りに行ったら、イタリアぼけで右車線を走りかけてしまった。危ない、脳がダメになっている。

いつもより注意を払いながら帰り、20時から予約していた「りらくる」のマッサージを受けた。

最初はコリコリと痛みを感じ、足裏に疲労物質が溜まっていることを感じたが、みるみるうちにスルスルになって、疲れは大分取れた。

そして家に帰り、飯を食う元気もなく就寝した。

 

<あとがき>

帰国した翌日は大学時代のゼミの飲み会があったので夜は富山へ出かけた。その翌日に風邪をこじらせるとは思わなかったが…

 

旅行記を書き始めて3ヶ月ほど経過し、ようやく最終章まで描き終えることができた(文章自体は1カ月ほどで大体書けたのだが、写真の貼り付けに時間がかかってしまった)。そして、イタリアの旅を終えて改めて日記を書く意義を考えた。その結果、日記を書くのは、「気持ち」を記録しておくためなのだなと自分なりに整理した(冒頭にも書いたことだが)。

今の時代、写真や位置情報などを残しておくと、どこを訪れたかはすぐに確認できるし、その場所にどんな歴史があるかはインターネットで簡単に調べることができる。

でも、そこを訪れて、「何を感じたのか、何に驚いたのか、何がいいと思ったのか、何が嫌だったのか」ということは書き起こしておかないと消え去ってしまうもので、これらを残しておくのは価値があることだなと思った。

 

また、イタリアを旅行先に選んでよかったと感じることがある。それは、これから数十年、なんなら数百年経とうとローマ・フィレンツェ・ヴェネツィアの風景は変わらないであろうということだ。自分たちが見たものがこれから先も残っていくことがうれしいし、過去にイタリア旅行に行った人、これから旅行に行く友人、次の世代の人たちと、旅行先での感動を共有することができる。世代を超えて感動を共有できるということに強いロマンを感じるのである。

 

自分なりに感じ、考えることが多く、強いインパクトが残ったイタリア旅行。

ようやく魂が日本に戻ってきたのは、帰国後2週間ほど経って、行きつけのおでん屋さんで、立ち上る湯気を見ながら熱燗を口に含んだ瞬間でした。