そこはかとなく

そこはかとなく

あれやこれやの断想・・・・・・

道端の“半鐘蔓”の花に気づいた

ここのところ、散歩を日課としている。
歩きながら、木々や草花を気にしている。
先日見た、花槐の花はほとんど散っていた。
いいタイミングで見ることができたのだと思う。
今日は、エゴノキの可憐な花、クレマチスの仲間の半鐘蔓の花、橡の木の逆円錐型の花、熊四手の果穂、立浪草の名前の形をした青い花等を見た。
ある時、木々の名前を知らない自分に気づいた。
それを契機に幾らか知識がひろがって、それが、今の楽しみにつながっている。

“黒いオルフェウス” ウィスキーでも飲みながら・・・

 レイ・ブラウン・トリオで“黒いオルフェウス”他を聞く。
 アルバムは「ブラック・オルフェウス」(1989,91 Paddle Wheel)
 ジーン・ハリス(p)
 レイ・ブラウン(b)
 ジェフ・ハミルトン(ds)
 このメンバーで、「酒とバラの日々」、「アイ・ソート・アバウト・ユー」、「ハウ・インセンティブ、「マイ・フーリッシュ・ハート」、「星に願いを」と言うおなじみのジャズ・ナンバーを演奏している。
 ライブで、ジャズを愉しむという雰囲気にあふれている。
 “黒いオルフェウス”は、レイ・ブラウンの弓引きがメインで、ピアノが美しい装飾をつけている。
 “オルフェウス”は、フランス語では“オルフェ”だったはずだ。
 とても、おだやかな気分になれますよ。
 

ラヴェルの“ブルース” 第一次世界大戦後にアメリカ音楽が・・・・

 モーリス・ラヴェルの“ブルース(ブルーズ)”を聞く。
 「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」の第2楽章である。
 アメリカのジャズは、第一次世界大戦後のフランス、パリでも流行した。
 そう言う時代背景があっての曲である。
 Yvon CARRACILLY,violon
 Henri BARDA,piano
 CD:CALLIORE
 別の演奏でも聞く。
 Pierre DOUKAN,violon
 Therese COCHET,piano
 CD:ERATO
 奇妙な雰囲気を醸し出している曲である。
 ひきつけられはするが、うっとりするような曲ではない。
 

“毒にみちたページを” マルドロールの歌〈第一の歌〉

 《ロートレアモン伯爵による「マルドロールの歌」読書メモ》

 「マルドロールの歌」を栗田勇訳で読む。

 この散文詩集は、大きくは6つの“歌”で構成されている。
 “第一の歌”から“第六の歌”である。
 それぞれの“歌”の中には、長短はあるが、幾つかのパートに分けられている。
 そのひとつづつにメモが作れたらと思う。
 〈第一の歌 神よ、願わくば・・・〉
 この書には、凄いことが書かれている。
 読者によっては、精神に痛手を負う。
 読まないのも、ひとつの選択肢である。
       *
 〈第一の歌 読者よ、この作品の始めに・・・〉
 読者は、この書に、憎悪の祈禱を読むことになる。
 それは、どす赤い放射能を発する。
 醜い君の鼻孔をを至福に導くだろう。
       *
 〈第一の歌 マルドロールが、幸福に暮らしていた・・・〉
 マルドロールは、悪の生涯に身を投じた。
 みずからの邪悪さに気づいた。
 それは、意志の力より、はるかに強い。
       *
 〈第一の歌 実際にもっているにせよ・・・〉
 ぼくは、残虐の快楽を描くために、自分の才を使う。
 ただ、その残虐さは、万人の胸のなかにもあることを覚えとけ。
      *
 〈第一の歌 ぼくはみた、わが生涯を通いて・・・〉
 人間は、怪物のごとく残虐なことを行っている。
 神に対し、冒瀆の振る舞いをしている。
 神よ、善良なる人間を見させてくれないか。
      ◇

 昨日、散歩道で、篦大葉子を見た。
 葉っぱが細長く、篦(ヘラ)のようなので、その名がついたようだ。
 そして、その花のさま、まるで惑星の衛星のようである。
 宇宙を感じさせる。
        

“ファウストの劫罰”から 精霊・妖精が踊ります

 ベルリオーズの声と管弦楽の曲、劇的物語「ファウストの劫罰」
 以下のような、個別に作られた曲が、この劇音楽に使われている。
 ・ハンガリー行進曲(ラコッツィ・マーチ)
 ・蚤の歌
 ・妖精の踊り
 ・トゥーレの王のバラード
 ・鬼火のメヌエット
 ・メフィストフェレスのセレナード
 「鬼火のメヌエット」と「妖精の踊り」、「ハンガリー行進曲」の3曲をデヴィッド・ジンマン指揮、ボルティモア交響楽団で聞く。この3曲に、声はなし。
 はじめの2曲は、悪霊による鬼火の精霊や空気の精霊・妖精が踊るというファンタステックなものだ。
 ベルリオーズがゲーテの「ファウスト」に刺激されて作られたものだ。
 

“マルドロールの歌”を ロートレアモンの“謎”

 ロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカスの散文詩集「マルドロールの歌」を読もうと思う。
 10代の後半に、初めて接した詩集で、その後も幾度となく開きはしたが、作品の核とでも言えるものをとらえきれていない感じなのだ。
 本として最初に手にしたのは、栗田勇訳の現代思潮社からのもので、1967年7月15日新装第8刷、定価550円、だった。
 もう60年くらい前のものだ。
 新書サイズだったので、よく持ち歩いていた。
 私の“青春の書”と言えるかも知れぬが、「俺はこんなのも読んでいるんだぞ」ひけらかしたいだけだったように振りかえる。


 ただ、捉えきれない気持ちがあって、ロートレアモンについて書かれた、ガストン・バシュラール、モーリス・ブランショ、L・P・カン、ル・クレジオ、エドワール・ペルゼ、出口裕弘、アンドレ・ブルトン他の評論も手にしていた。
 これらも、まともに読み、理解したものはないように思う。
 それで、時を経た今、改めてと思った次第である。
 イジドール・デュカスは、1846年4月4日に、ウルグヮイのモンテヴィデオに生まれた。そして、1970年11月24日に、パリのフォーブール=モンマルトルで亡くなっている。24歳だった。
 こんな若造が書いたものを、いまさらとの気持ちはなくもないが。
 「マルドロールの歌」の訳本を何冊か持っている。
 以下の通りだ。どれで、読もうかと考えている。
 ・栗田勇訳=現代思潮社、人文書院、角川書店
 ・渡辺広士訳=思潮社
 ・石井洋二郎訳=ちくま書房
 ・前川嘉男訳=集英社
 読むとしたら、やはり栗田勇訳がいいか。
 活字が大きな、人文書院から「ロートレアモン全集」として出ているのがいいか。

 

“楽園からの永久追放” ミルトンの「失楽園」最終巻

 ミルトンの「失楽園」(平井正穂訳 / 岩波文庫)の最終となる第十二巻を読んだ。
 前巻に続き、大天使ミカエルは、アダムに人間の世界にこれから起こることを聖書に則して、ミルトン流に語る。
 ・ノアの方船(大洪水後)
 ・バベルの塔:混乱の発生
 ・アブラハムとその子たち
 ・モーセとその兄アロン(カナンの地へ)、そしてヨシュア
 ・イスラエル王国の盛衰(ダビデ他)
 ・預言者
 ・救世主イエスの誕生
 ・イエス・キリスト生涯、十字架の受難を通じての人間の罪の贖い
 アダムは幾つもの疑問をミカエルになげかけ、ミカエルは丁寧に応じる。
 丁寧だから、納得できるものとは限らないが、アダムは理解し、感謝する。
 二人は、山を下り、眠っていたイーヴを起こす。
 イーヴも、夢の中で、未来に、自分たちの救済があることを教えられている。
 アダムとイーヴは、ミカエルにつきそわれて、エデンの園の東へ行く。
 そして、門を出る。

 〈まとめ・感想〉
 アダムの疑問とミカエルの回答が、内容的には大切なのだろうが、なんだか基本的には、これまでに語られたことの繰り返しのようで、ここに記すのはやめにする。
 以上、あらすじと言うか、どのようなことについて語ったかだけを記した。
 「失楽園」を一応、読み終えたわけだが、やはり、サタンの登場しているところが興味深かった。
 サタンは、堕天使のルシファーのことなのだが、この書では、その名前は使われていなかった。
 ルシファーの神への“反抗”、ルシファーの苦悩が、共感をいだかせ、いたましさを感じさせた。
 「失楽園」を読み進む中で、ロートレアモン伯爵の「マルドロールの歌」を、読み返してみたいなという気持ちになった。
 神と対峙する“悪”という観点から読みたいなと。

 

モーツァルトの“レクイエム”Ⅱ カール・リヒター指揮で

 昨日、モーツァルトの「レクイエム」をショルティ指揮の没後200年を記念ミサのライブ録音盤で聞いた。
  今日は、通常の演奏をカール・リヒター指揮、ミュンヘンバッハ管弦楽団・合唱団で聞こうと思う。
 手元のCDでは14トラックで構成されていて、記念ミサでのお祈りなどが入ったライブ盤の18トラックよりは少ない。
 大きくは、以下の構成。
 1.イントロイトゥス:レクイエム
 2.キリエ
 3.セクエンツィア
 4.オッフェルトリウム
 5.サンクトゥス
 6.ベネディクトゥス
 7.アニュス・デイ
 8.コンミュニオ:ルックス・エテルナ
 ショルティのライブ盤に較べると、全体的に重厚である。
 リヒターの“宗教感性”がもろに反映されていると思った。
 モーツァルトの聞く者の耳をひきつける魅力は、ショルティ盤の方にあるように感じた。

“エバーグリーン” 遊びたいな・・・・

 ケニー・ドリュー・トリオのアルバムに「エバーグリーン」。
 収録曲の“エバーグリーン”は、デンマークのペデルセンの作。
 そうだね
 いつの日も心静かでいたいね
 夜に思い浮かぶんだ
 幼友だちはいいな
 君を思う気持ちは変わらないよ
 エバーグリーンだ
 だけど
 君はもうこの世にいないこと
 さみしいな
 やっぱり
 この世で一緒でありたいものだ

モーツァルトの“レクイエム” 没後200年を記念ミサのライブ

 久しぶりに、モーツァルトの「レクイエム」を聞く。
    没後200年を記念して、ウィーンの大聖堂で行われたミサのライブ録音で、ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のLONDON盤で聞いた。
 昨日聞いたベルリオーズやヴェルディのように長くなく、CD一枚に収まっているのはいい。
 CDでは、18トラックになっていて、ひとつひとつは短い。
 ミサとして行われたので、以下のように人声がはいる。
 11番目は、人声だけのお祈りである。
 15番目は、典文も人声。
 16番目は、主の祈りの唱和等。
 さすがモーツァルトで、美しく、人をひきつける力をもっている。
      ◇
 昨日、ベルリオーズの「レクイエム」を聞いて、このブログに記事を書いた。
 多くの作曲家が「レクイエム」を作り、幾人もの作を聞いたと。
 誰であったか、覚えている分をリストアップしてみる。
 ビクトリア
 リュー
 ジル
 モーツァルト
 フォーレ
 ドニゼッティ
 ヴェルディ
 ベルリオーズ
 デュルフレ
 タイトルに“レクイエム”と付いている以下のような曲もある。
 ブラームスの「ドイツ・レクイエム」
 ブリテンの「戦争レクイエム」
 ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」
 ブソッティの「ザ・ララ・レクイエム」
 やはり、ヴェルディの迫力、デュルフレの美しさが印象的である。