そこはかとなく

そこはかとなく

あれやこれやの断想・・・・・・

“ファウストの劫罰”から 精霊・妖精が踊ります

 ベルリオーズの声と管弦楽の曲、劇的物語「ファウストの劫罰」
 以下のような、個別に作られた曲が、この劇音楽に使われている。
 ・ハンガリー行進曲(ラコッツィ・マーチ)
 ・蚤の歌
 ・妖精の踊り
 ・トゥーレの王のバラード
 ・鬼火のメヌエット
 ・メフィストフェレスのセレナード
 「鬼火のメヌエット」と「妖精の踊り」、「ハンガリー行進曲」の3曲をデヴィッド・ジンマン指揮、ボルティモア交響楽団で聞く。この3曲に、声はなし。
 はじめの2曲は、悪霊による鬼火の精霊や空気の精霊・妖精が踊るというファンタステックなものだ。
 ベルリオーズがゲーテの「ファウスト」に刺激されて作られたものだ。
 

“マルドロールの歌”を ロートレアモンの“謎”

 ロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカスの散文詩集「マルドロールの歌」を読もうと思う。
 10代の後半に、初めて接した詩集で、その後も幾度となく開きはしたが、作品の核とでも言えるものをとらえきれていない感じなのだ。
 本として最初に手にしたのは、栗田勇訳の現代思潮社からのもので、1967年7月15日新装第8刷、定価550円、だった。
 もう60年くらい前のものだ。
 新書サイズだったので、よく持ち歩いていた。
 私の“青春の書”と言えるかも知れぬが、「俺はこんなのも読んでいるんだぞ」ひけらかしたいだけだったように振りかえる。


 ただ、捉えきれない気持ちがあって、ロートレアモンについて書かれた、ガストン・バシュラール、モーリス・ブランショ、L・P・カン、ル・クレジオ、エドワール・ペルゼ、出口裕弘、アンドレ・ブルトン他の評論も手にしていた。
 これらも、まともに読み、理解したものはないように思う。
 それで、時を経た今、改めてと思った次第である。
 イジドール・デュカスは、1846年4月4日に、ウルグヮイのモンテヴィデオに生まれた。そして、1970年11月24日に、パリのフォーブール=モンマルトルで亡くなっている。24歳だった。
 こんな若造が書いたものを、いまさらとの気持ちはなくもないが。
 「マルドロールの歌」の訳本を何冊か持っている。
 以下の通りだ。どれで、読もうかと考えている。
 ・栗田勇訳=現代思潮社、人文書院、角川書店
 ・渡辺広士訳=思潮社
 ・石井洋二郎訳=ちくま書房
 ・前川嘉男訳=集英社
 読むとしたら、やはり栗田勇訳がいいか。
 活字が大きな、人文書院から「ロートレアモン全集」として出ているのがいいか。

 

“楽園からの永久追放” ミルトンの「失楽園」最終巻

 ミルトンの「失楽園」(平井正穂訳 / 岩波文庫)の最終となる第十二巻を読んだ。
 前巻に続き、大天使ミカエルは、アダムに人間の世界にこれから起こることを聖書に則して、ミルトン流に語る。
 ・ノアの方船(大洪水後)
 ・バベルの塔:混乱の発生
 ・アブラハムとその子たち
 ・モーセとその兄アロン(カナンの地へ)、そしてヨシュア
 ・イスラエル王国の盛衰(ダビデ他)
 ・預言者
 ・救世主イエスの誕生
 ・イエス・キリスト生涯、十字架の受難を通じての人間の罪の贖い
 アダムは幾つもの疑問をミカエルになげかけ、ミカエルは丁寧に応じる。
 丁寧だから、納得できるものとは限らないが、アダムは理解し、感謝する。
 二人は、山を下り、眠っていたイーヴを起こす。
 イーヴも、夢の中で、未来に、自分たちの救済があることを教えられている。
 アダムとイーヴは、ミカエルにつきそわれて、エデンの園の東へ行く。
 そして、門を出る。

 〈まとめ・感想〉
 アダムの疑問とミカエルの回答が、内容的には大切なのだろうが、なんだか基本的には、これまでに語られたことの繰り返しのようで、ここに記すのはやめにする。
 以上、あらすじと言うか、どのようなことについて語ったかだけを記した。
 「失楽園」を一応、読み終えたわけだが、やはり、サタンの登場しているところが興味深かった。
 サタンは、堕天使のルシファーのことなのだが、この書では、その名前は使われていなかった。
 ルシファーの神への“反抗”、ルシファーの苦悩が、共感をいだかせ、いたましさを感じさせた。
 「失楽園」を読み進む中で、ロートレアモン伯爵の「マルドロールの歌」を、読み返してみたいなという気持ちになった。
 神と対峙する“悪”という観点から読みたいなと。

 

モーツァルトの“レクイエム”Ⅱ カール・リヒター指揮で

 昨日、モーツァルトの「レクイエム」をショルティ指揮の没後200年を記念ミサのライブ録音盤で聞いた。
  今日は、通常の演奏をカール・リヒター指揮、ミュンヘンバッハ管弦楽団・合唱団で聞こうと思う。
 手元のCDでは14トラックで構成されていて、記念ミサでのお祈りなどが入ったライブ盤の18トラックよりは少ない。
 大きくは、以下の構成。
 1.イントロイトゥス:レクイエム
 2.キリエ
 3.セクエンツィア
 4.オッフェルトリウム
 5.サンクトゥス
 6.ベネディクトゥス
 7.アニュス・デイ
 8.コンミュニオ:ルックス・エテルナ
 ショルティのライブ盤に較べると、全体的に重厚である。
 リヒターの“宗教感性”がもろに反映されていると思った。
 モーツァルトの聞く者の耳をひきつける魅力は、ショルティ盤の方にあるように感じた。

“エバーグリーン” 遊びたいな・・・・

 ケニー・ドリュー・トリオのアルバムに「エバーグリーン」。
 収録曲の“エバーグリーン”は、デンマークのペデルセンの作。
 そうだね
 いつの日も心静かでいたいね
 夜に思い浮かぶんだ
 幼友だちはいいな
 君を思う気持ちは変わらないよ
 エバーグリーンだ
 だけど
 君はもうこの世にいないこと
 さみしいな
 やっぱり
 この世で一緒でありたいものだ

モーツァルトの“レクイエム” 没後200年を記念ミサのライブ

 久しぶりに、モーツァルトの「レクイエム」を聞く。
    没後200年を記念して、ウィーンの大聖堂で行われたミサのライブ録音で、ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のLONDON盤で聞いた。
 昨日聞いたベルリオーズやヴェルディのように長くなく、CD一枚に収まっているのはいい。
 CDでは、18トラックになっていて、ひとつひとつは短い。
 ミサとして行われたので、以下のように人声がはいる。
 11番目は、人声だけのお祈りである。
 15番目は、典文も人声。
 16番目は、主の祈りの唱和等。
 さすがモーツァルトで、美しく、人をひきつける力をもっている。
      ◇
 昨日、ベルリオーズの「レクイエム」を聞いて、このブログに記事を書いた。
 多くの作曲家が「レクイエム」を作り、幾人もの作を聞いたと。
 誰であったか、覚えている分をリストアップしてみる。
 ビクトリア
 リュー
 ジル
 モーツァルト
 フォーレ
 ドニゼッティ
 ヴェルディ
 ベルリオーズ
 デュルフレ
 タイトルに“レクイエム”と付いている以下のような曲もある。
 ブラームスの「ドイツ・レクイエム」
 ブリテンの「戦争レクイエム」
 ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」
 ブソッティの「ザ・ララ・レクイエム」
 やはり、ヴェルディの迫力、デュルフレの美しさが印象的である。
 

“悲劇にみちた人間世界” ミルトンの「失楽園」第十一巻後半

 ミルトンの「失楽園」(平井正穂訳 / 岩波文庫)第十一巻の後半を読んだ。
 以下は、自分のための備忘メモ。
 大天使ミカエルは、アダムを高い山に導き、人間の世界諸相を見せる。
 地球上の多くの国の繁栄、諸都市の栄華、そして、残虐な殺戮や淫欲におぼれる人、また、自然災害や病気に苦しむ人・・・・
 夥しい悲劇に落胆するアダムに、ひとつの事例をかたる。
 善き者にはいかなる報いがあるかについて、“ノアの方船”のことであった。
 そして、第十一巻は、ミカエルの次の言葉で閉じられる。
 「・・・・しかし、やがて火が一切を、天と地とを、焼き浄めて新しくする時がくる。そして、そこでは真に義しき者が住むことになろう」
 いささか、走り読みだったが、十一巻を読み終えた。
 あとは、最終の十二巻を残すだけとなった。
 

ベルリオーズの“レクイエム”  死者のための大ミサ曲

 ベルリオーズ(1803~1869)の「死者のための大ミサ曲(レクイエム)」
 〈曲の構成〉
 1.レクイエム*キリエ(入祭唱*主よ、永遠の安息を、憐れみたまえ)11:13
 2.デイエス・イーレ*テューバ・ミルム(怒りの日*妙なる喇叭)12:04
 3.Quid sum mise(そのとき憐れなるわれ)3:10
 4.Rex tremendae(恐るべき御稜威の王)5:39
 5.Quaerens me(われを探し求め)4:31
 6.ラクリモーサ(涙の日、かの日こそ涙の日)11:34
 7.オッツエルトリウム(奉献誦、主イエス・キリストよ)10:33
 8.Hostias(賛美の生贄、祈り)3:15
 9.サンクトゥス(聖なるかな)10:19
 10.アニュス・ディ:Agnus Dei et Communion(神の子羊、神羊誦と聖体拝領唱)10:56
 〈演奏者〉
 ロリン・マゼール指揮
 クリーブランド管弦楽団・合唱団
 CD:DECCA(2枚組)
 〈その他〉

 エロス、美、夢幻・・・・ベルリオーズには、そのような感覚嗜好の傾向を感じる。
   「レクイエム」は、ベルリオーズにとって、自信作のひとつのようだ。
 2の“喇叭”は、華やかでいい。
 他の作曲家に較べて、特別素晴らしいというわけではないが。
 3は、暗く沈んだ感じで流れる。
 4は、大音響ではしまる。神の凄さは、音の迫力で。
 7の奉献誦は、しずやかで、ひとり目を閉じて祈るかのよう、祈りは強くもなる。
 古来、多くの作曲家が「レクイエム」を作っている。
 かなりを聞いたけど、今、印象深いなと記憶にあるのは、ヴェルディとデュルフレかな。


 

“楽園からの永久追放” ミルトンの「失楽園」第十一巻

 ミルトンの「失楽園」(平井正穂訳 / 岩波文庫)第十一巻を半分くらいまで読んだ。
 以下は、自分のための備忘メモ。
 アダムとイーヴの悔い改めの祈りは、御子のとりなしで、神に届き、受け容れてもらえることになる。
 但し、神は、このままエデンの園に住まわせることは許せぬと、園からの永久の追放を決めた。
 そして、大天使ミカエルに、二人への伝達と、エデンの園の出入りの警備強化を命じる。
 ミカエルは、二人のもとを訪れ、処分を告げる。
  アダムとイーヴは悲嘆するが、受け容れた。
 ミカエルは、アダムを高い山に導き、人間の世界にこれから起こることを示し、教える。
 

“ラ・マルセイエーズ”

 ベルリオーズの「ラ・マルセイエーズ」を聞く。
 デヴィッド・ジンマン指揮、ボルティモア交響楽団と合唱団で。
 ルージェ・ドゥ・リスルなる方が作詞作曲したものがもとになっている。
 それをベルリオーズが編曲した曲である。
 ソロと合唱にオーケストラで、堂々と華やかで、勢いのある曲にしている。
 言わずと知れたフランス国歌。