二ヶ月くらい前から、かなり見えにくくなっているのを自覚していた…。
それまでは、今のコンタクトや、メガネでも、支障はなかった。
だけど今は、外でも、お店の陳列棚や案内板が見にくかったり、車の運転も夕方などかなり見えにくかったり、
家でメガネにすると、裸眼よりマシくらいでかなりぼやける。
極めつけは、この前一人で出たとき、駅の案内板が見えにくくて弱った…。コンタクトをして。
それもそのはず。検診で視力を測ったら、左0.6と、右に至っては、モノビジョンにしてるとはいえ0.3しかなかった。
なのでいずれにせよ度を上げなければと、まずはメガネ屋に行き、調べてもらった。
しかし…。
どちらも最大限レンズを足しても0.5しか視力が出なかった。
『これでも御本人さんが見えるということであればメガネはお作りできますが、こちらとしては一度眼科受診をおすすめしますが…。』
想定外の結果に一瞬愕然としたが、
私は迷わずこう答えた。
『構いません、メガネ作り変えて下さい。少なくとも今までより見えるので…。』
そう言うとメガネ屋さんは私のオーダーを受けてくれた。
そのあと、作り変えるメガネの度数を参考に、ネットでコンタクトの度数も上げて注文した。
あの頃、ネットなんて…と思ってた私は今はここにいない。
人は生きるためにはルールを変えなければならない時があるから。
1dayが両眼で2600円で、しかも乾きにくいのは、他にはない。
視力低下の原因は…緑内障の悪化の可能性がある。
М医師に最後に診察受けたとき、
まだ視力低下は言われなかったが、
キサラタンだけで様子みたけど眼圧があまり下がらないので、もう1剤増やすならSLTをした方が良いと言われていた。
あれが確か去年の9月頭…。
そのあと私はあの職場を去った。
辞めるとき、看護師長は私に、
診察には気にせず来て下さいねと言ってくれた。
だけど私はもう、あの場所に行くつもりはなかった…。
たとえ緑内障が進行しても、
私はもう、あの医師に会うつもりもなければ、新たに眼科を受診するつもりももう無かった。
もうたくさんた!!
私に残ったのは、一つの覚悟だった。
自分の運命を信じる覚悟…。
私にとって清家眼科の存在は刃物でしかない。私の心をえぐるから。
私を見捨てた場所なんか今も燃やしたい。
だけど、私の目を治せるのは、
一人しかいないのだ。
それは身体も同じ。
このままいつぶっ倒れるか分らない現状がある。
よく、自分を愛せなければ人を愛することなど出来ないと言う…。
自分を愛するとは、自分を大事にするということ…。
自分を大事にするとは、自分の身体もそうだけど、自分の心を大事にするということ。自分の心を大事にするとは、
自分の思いや望みに従うということ。
それが自己愛…。
ならば私にとって自分の心を大事にするとは、他の誰かに治療してもらうことではなく、治せるのはたった一人しかいないと思う自分の心に従うこと。
清家眼科が、清家恭三が私にとってこのままなら目が見えなくなってもいい。ぶっ倒れてもいい。
我儘や、頑固ではなく、
それが自分の運命だと信じるから…。
私の目の運命を誰よりも、私自身が信じてあげること…そして、たとえその結果がどうなろうと、誰のせいでもなく、自己責任であるということ。
自分の望まない形で、目や身体が生きながらえても、気持ち悪いし、それは苦しみでしかない。
それなら目や身体の寿命が早まっても自分の望む形をえらぶ。それが自分の心を大事にしてることだから。