昭和秀英は、渋谷幕張のすぐ隣にありますが、お互いの正門同士は離れています。
※筑駒と駒東くん
みたいなものです。
渋幕はJR海浜幕張からの大通り(国際大通り)沿いに正門があります。
秀英も渋幕正門のすぐ隣に入口がありますが、これは正門でありません。
なお、入試の時(中学受験)は、秀英の先生が「昭和秀英の受験生の皆さん❗️秀英の正門はこちらではありません❗️」と大きな声で言っていました。
渋幕が正門からみて敷地が縦長に使っています。入って正面がメモリアルタワーで、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231111/11/kentama18-2022/3c/c1/j/o0607108015362952934.jpg?caw=800)
![えー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/011.png)
そして、そのメモリアルタワーの奥に第1グラウンドがあるという感じで、縦に長い校地です。
一方、秀英は
渋幕とは正門の場所が全然違うので、お互いそれほど意識しなかったと思います。
さて、正面側の秀英は、こんな感じです。
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
なお、京成幕張からは秀英までは、渋幕の校舎を一切見ないで辿り着きます。
そのため、こんなに隣同士だなんて、その後、別の用事で渋幕に行くことになるまでは知りませんでした。
実際の受験ですが、じょのは諸般の事情により受験することは出来ませんでした。
(←単に実力不足では)
ただ、事前に過去問解いたりして受験対策していたのと、学校の友人が(船高や佐倉の)併願で受験していたので、話は聞いてました。
![ニヤリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/012.png)
それから、当時の高校受験では、面接がありました。
ワタクシは、直前まで受験するつもりだったため、学校か市進学院か忘れましたが、面接の練習をした覚えがあります。
そこでは…
「明朗謙虚、勤勉向上という校訓がこのボク
にピッタリだと思い、志願しました
」と伝えたところ、
練習担当の先生
から「心にもないこと言わないように
」と言われました![てへぺろ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/019.png)
(少し抜粋)
昭和秀英は相変わらず「永遠の4番手」です。それでも凄いですけど。
(昔)
東邦大東邦
市川
渋幕
昭和秀英
↓
(今は)
渋幕
市川 ※東邦を抜いたのも謎っちゃ謎
東邦大東邦
昭和秀英
になってますね。
![えー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/011.png)