前回の続きです。


昭和秀英は、渋谷幕張すぐ隣にありますが、お互いの正門同士は離れています。

筑駒昇天駒東くんえーみたいなものです。


渋幕はJR海浜幕張からの大通り(国際大通り)沿いに正門があります。


秀英も渋幕正門のすぐ隣に入口がありますが、これは正門でありません。

なお、入試の時(中学受験)は、秀英の先生が「昭和秀英の受験生の皆さん❗️秀英の正門はこちらではありません❗️と大きな声で言っていました。


渋幕秀英は隣同士でほぼ同じ区画、同じくらいの面積ですが、

渋幕が正門からみて敷地が縦長に使っています。入って正面がメモリアルタワーで、

(昔はなかったですえー)

正門入ってすぐ左が入試の時に保護者の皆さんが待つ第2グラウンドがあります。
(いやー、寒かったですねネガティブ)

そして、そのメモリアルタワーの奥に第1グラウンドがあるという感じで、縦に長い校地です。


一方、秀英

こちら渋幕正門の隣は、いかにもメインという感じですが、実は、こちらは正門側ではなく、正門はぐるっと回ったところにあります。
たしか、このあたり↓でした


同じような形ですが、
正門からみて縦長の渋幕と違い、秀英の敷地は正門からみて横長です。

渋幕とは正門の場所が全然違うので、お互いそれほど意識しなかったと思いますウインク


さて、正面側の秀英は、こんな感じです。

(すみません、ネットからお借りしました。)
いかにも学校という雰囲気ですねウインク

更に正面です。

うわーっ、懐かしいです笑い泣き
じょのは、実は秀英に行きたいなと思っていた時期がありました。それで、大して勉強してないのに中3の夏に学校見学に行ったことがあります。

なお、京成幕張からは秀英までは、渋幕の校舎を一切見ないで辿り着きます。

そのため、こんなに隣同士だなんて、その後、別の用事で渋幕に行くことになるまでは知りませんでした。


実際の受験ですが、じょのは諸般の事情により受験することは出来ませんでした。

(←単に実力不足ではニコ)


ただ、事前に過去問解いたりして受験対策していたのと、学校の友人が(船高や佐倉の)併願で受験していたので、話は聞いてました。


当時の高校受験では、入試の解答用紙の氏名を書く欄の横に「父母(←親族だったかな)で昭和学院出身者がいる場合、そのお名前を記載してください」とまさかのOBOG欄の記載欄がありました。
ワタクシの友人は「これに該当して書いたら加点か、えぇニヤリと思ったそうです。
なお、秀英は渋幕同様、当時は歴史の浅い学校だったので、書くとしても主に母体の「昭和学院」(市川の女子校)出身者になったのかなと思います。

それから、当時の高校受験では、面接がありました。

ワタクシは、直前まで受験するつもりだったため、学校か市進学院か忘れましたが、面接の練習をした覚えがあります。


そこでは…

明朗謙虚勤勉向上という校訓がこのボクてへぺろにピッタリだと思い、志願しましたおねがいと伝えたところ、

練習担当の先生ニコから「心にもないこと言わないようにニコと言われましたてへぺろ

以前のブログにも書きましたが、
秀英は、東邦市川渋幕のいわゆる「千葉御三家」の次の位置でした。
ただ、いまほど渋幕との差はありませんでしたね。


(以前の記事です) 


(少し抜粋てへぺろ)


昭和秀英は相変わらず「永遠の4番手」です。それでも凄いですけど照れ


(昔)

東邦大東邦ニコニコ


市川ニコ



渋幕ニヤリ

昭和秀英真顔


(今は)

渋幕ニヤリ



市川ニコ    ※東邦を抜いたのも謎っちゃ謎

東邦大東邦ニコニコ


昭和秀英真顔


になってますね。

(抜粋おわり)

それから、男子が多い渋幕に対し、女子が多く華やかな秀英というイメージでした。

でんが受験したときは、秀英は渋幕と入試日程をぶつけていて(同じ1/22)、メイン日程での併願が出来ません。
1/18~19くらいにずらせば、今より偏差値が上がるのにと思いますが、その辺は大人の事情があるのかもしれませんえー