渋幕にも行きました。
と言っても、文化祭でも学校説明会でもなく…単なる模試なんですけどね
JR海浜幕張駅からの真っ直ぐで平坦な道をなんとなくぶらぶら歩き、陸橋を登って降りたら、もう渋幕でした。
右手にイオンがありますが、何せ平坦な道なので、やたら長く感じます。
殺風景ながら京成幕張駅からの方がまだ楽しみながら(秀英も見ながら)学校にたどり着けたことを思い出しました。
さて、渋幕とは、正式名称「渋谷教育学園幕張中学校・高校」のことです。中学受験界なら有名ですよね。
なお、すぐ隣には昭和学院秀英中学校・高校もあります。
かなり昔ですが、ワタクシ、高校受験したことがあるため、でんの用事とはいえ行けたのは、少し懐かしかったです
ま、千葉御三家でも1番下だった頃なので、今ほどの難関ではなかったです。
だからこそ、こんなワタクシでも受けられたのかもしれませんが
千葉の前受校として、人気ですが、この学校の急成長ぶりは実に目を見張るものがあります。
創立が1983年なので、まだ40年足らず。
余談ながら、お隣の昭和学院秀英もほぼ同じで創立です。
関係ないですが、昔は「なんで幕張にあるのに渋谷なのかなあ」と思ったものです。
「広尾小石川のようにイメージのいい名前を2つ並べたのかなあ?」…と現代の人なら思うかもしれません。
何故なのか、調べてみました。
渋幕や秀英に直接聞いたわけではないので、話半分で聞いてもらって結構です。
その昔、千葉市の幕張地域では、新都心構想みたいな話があり、学園都市としての機能も持ちたいと思いがあり、学校を誘致しようとなりました。
そこで、まず渋幕・秀英を呼ぶ
・・・というわけではぜんぜんなく
まず早稲田大学に声をかけたそうです。
早稲田も手狭だったし、都心には土地もないので「千葉に新しいキャンパスを作るべ❗️」となったのですが、
OBの稲門会の猛反発(「こんな田舎につくるな‼️」)があったとかなかったとかで、断念してしまいました。
だから、「現代の都の西北」と嘯く(うそぶく)ように所沢に新キャンパス(当時は人間科学部。所沢体育大学とも言われています)を作ったのですね。
さてさて、
それで早稲田にフラれてやむ無く声をかけたのが、渋谷にある渋谷女子と市川あたりにある昭和学院でした。
どちらも女子高ですね。当時は…。
いまは、渋谷女子高校→渋渋になっています。
昭和学院もいつも間にか共学になってました。
さて、幕張の学校用地ですが、
聞くところによると
大学にはちょうどいい広さでも中高になると広すぎた。
まさに「帯に短し、襷に長し(おびにみじかし、たすきにながし)」ですな❗️
とにかく、早稲田に入ってもらうはずだった土地を綺麗に縦で分けたそうです。
だから、あんなにすぐ隣に同じような学校があるのですねえ。
そして、渋谷女子高校の姉妹校を幕張に作ったから渋谷幕張。なるほど。
それにしても、カッコいい名前を2つつなげたものです。広尾小石川のようですね
チコちゃん流に言えば、
「デデンッ🎵。渋谷幕張の名前に『渋谷』とついてるのは~、もともとの母体は渋谷の女子高だったから~」
といった感じでしょうね
(続きます)