殆ど読まれてませんが、HP「スエさんのまこちよか旅」の片隅に「夢中旅!荒唐無稽の夢のはなし」というコーナーが昔からあります。宮崎弁でいうところの“屁とん知れん(=くだらない)”内容です。私が眠っているときにみた夢を起きてからすぐ書き留めたものです。
夏目漱石に「夢十夜」、黒澤明監督に「夢」という作品がありますが、このたぐいのレベルをうんと落とした・・というかほぼレベル0の作品です。
ひまに任せてこのコーナーをリニューアルしました。ただのリニューアルでは面白くないので、最近仲良しになった(?)AIさんに記事を読んでもらい、ジブリ風に作画した絵をはさみました。まだ2話だけですが、「Story1機長」と「Story2記者公表」をよかったら読んでください。(R08.07.10)
「Story1機長」より
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写真はあしたの職場で食べる弁当のおかずです。友人の薬局での週2回の非常勤勤務が始まって11年。妻はいまでも明日が勤務日という日は、弁当のおかずを準備してくれます。

考えてみると結婚してから48年のあいだずっと弁当を作り続けの日々でした。3人の子どもたちが学校に通う間も給食のときもありましたが、私のと併せて複数の弁当を毎朝欠かさず作って送り出していました。
一番大変だったのは、宮崎市から約90km離れた延岡市の保健所に電車通勤していた3年間だったと思います。当時は特急列車での通勤手当はなく、毎朝6時ころの普通列車で出勤し、夜8時前に帰ってくる毎日でした。私も妻も40代…まだ元気ではありましたが、私は何と、朝、車中で食べる分、昼食の分、そして夕方の帰りの列車内で食べる分の3食の弁当を妻に作ってもらい、保冷バックに入れて通勤してました。そして朝の列車に間に合うように宮崎駅まで車で送ってくれてました。特に冬の朝はきつかったと思います。
「単身赴任したり、夕食を帰宅後(およそ9時ごろ)に食べたりすると不摂生なあなたは絶対からだを壊すから…」というのが妻の口ぐせでした。たしかに帰りの列車内では、毎日晩酌しながら帰る同僚もけっこういました。こうして70代まで゛元気でいられるのも、あのときの妻の頑張りがあったからだとつくづく思います。
いまは、妻が写真のように用意してくれたおかずと、冷凍したごはんを入れた弁当箱をひとつ、果物と野菜をつめた弁当箱をひとつ、前の晩に私がつめて、冷蔵庫に入れておき、翌朝包んで出勤して昼に職場でチンして食べています。
「おかずさえ作っておけばあなたが自分で包むから以前に比べたら楽になった」と言ってますがそれでも週2日の出勤日の前の日はおかず造りに精をだしてくれてます。(R08.07.01)
先週の木曜日の朝、左耳がほとんど聞こえなくなりました。数日前から耳の奥の痒みもありましたが、綿棒でごしごしこすったりしながら放置していたのです。
「突発性難聴」という文字が頭をかすめたので、かかりつけの耳鼻科にかかろうとするとあいにくの休診…そこで近所の耳鼻科に行ってみました。
耳の中をカメラで見てもらい、聴力検査もしてもらったあと、先生が、「突発性難聴ではありませんが…」と言った後、「顔をしかめてみて、ウィンクして、口をへの字にして…」と次々に指示を出し、更に「頭は痛くないか?」「熱は出なかったか」と次々に質問します。
あとで聞いたところでは、単純ヘルペスウィルス又は帯状疱疹ヘルペスの感染の疑いとのことてした。すぐに抗ウィルス薬が処方され、5日たったいま、聴力も戻り、痒みも無くなってきました。
私はただでさえ難聴があり、補聴器をつけたり、スイミングで耳栓したりしてますし、耳がかゆくなったら綿棒で耳掃除したりしてますが、どうもそういった日頃の行いと、寄る年波で体力・抵抗力が低下したことが、今回のようなウィルス感染の原因のようです。
先生があれこれ確認したのも、ヘルペスウィルスの親戚である帯状疱疹ウィルスが
耳だけにとどまらず顔全体まで広がるラムゼイハント症候群という病気を疑ったからのようでした。調べてみてびっくりし、怖くなりました。早めに抗ウィルス薬をのんで正解でした。
それにしても、かくの如く体力・抵抗力の衰えが出てくる齢(よわい)になってきているのをつくづく感じます。もうすぐ75歳の誕生日です。後期高齢者の仲間入りです。(R08.06.23)
耳も年をとるが…
こうありたい!
「(弾きたがりコーナー)」の更新です。昭和54年(70年代最後)にリリースされた狩人のアメリカ橋を弾き語ってみました。山川豊さんの同名の曲のほうがやや有名かなと思いますが、イントロや間奏がしっとりしてて、昔から好きな曲でした。
だいぶ前に上京した時、実際にアメリカ橋に行ってみたことがあります。正式の名前は「恵比寿南橋」というそうで、何でも、20世紀の初めにアメリカで開かれていた万国博に架けられていた橋を移築したので、この名が着いたそうです。何の変哲もない跨線橋ですが、人によっては色々な思いのある場所になるんでしょうね。歌詞に歌われた「青い橋」というよりはどちらかというと緑色をしていました。
(R08.06.18)
