先日、長野県に移住を考えている人が訪ねてきてくれて、お話をする機会があった。
そういう時に質問されるのが、「田舎暮らしはどうですか?」というもの。
この質問は、まぁ結構色々な人からされる。

私としては、田舎暮らしと言われても正直困るというのが本音だ。
よくいると思われる「田舎暮らしがしたい人」と私は明らかに違う。
私は決して、田舎で暮らしたかったわけではないからだ。
自分のやりたい仕事をするチャンスがあったのが、たまたま田舎だったというだけなのだ。
だから積極的に田舎を堪能したりすることはない。

実際、私は東京で働いていた時よりもたぶん労働時間は増えている。
都会にいた頃より田舎で暮らしていた方が労働時間が増えるというのは、いわゆるスローライフを求めて田舎へ移住したい人のイメージとは大きく異なるだろう。

要するに田舎も都会も関係なくて、自分がどう生きようとするかということが、ライフスタイルに反映されるということなんだと思う。
私は東京では大企業で仕事をし、周りは長時間労働をする人に囲まれていたが、私は労働時間をなるべく抑えることができていた。
しかし移住してからは公私混同生活に入り、とにかく仕事ばかりしている。
それは私がそうしたいと思ったからそうなっているのであって、都会だからとか、田舎だからという理由では全くない。


電通社員の自殺問題から、労働者に長時間労働を強いることがとても非難されている。
経営者なら、従業員がパワーを発揮できる環境を作ることは大切な仕事の一つだから、病気になるほど働かせることは経営能力の低さを露呈していることになるとは思う。
おそらく結果的に会社の損失を招いている。

しかし一方、労働者側から見ると、長時間労働を経営者のせいにしてどうする、と思う。
あなたの意思はどうなのか。
結局のところ、長時間労働をするという最終判断を下しているのは自分自身であることを棚に上げて経営者を批判する論調が、労働者の中に強すぎる気がする。
自分で環境を変える、行動を変える、価値観を変える、という意識が低すぎる気がする。
誰かに言ってもらわなきゃできないなんて、情けなすぎないか。
いい大学を出て、一流といわれる企業に入り、そこで誰かの言いなりにしかなれないなんて、悲しすぎる。

労働環境の改善は社会全体として取り組むべき問題だと思う。
それは決して、経営者(資本の側)だけの問題ではない。


田舎に行きたいとか、都会に行きたいとかいうのも似た雰囲気を感じる。
そこに行ったからといって、あなたが何をしたいのかがなければ、何も変わらないし、満足のいく生活なんて送れない。
田舎や都会が人を幸せにするわけではない。
どこまでいってもそれは自分自身でしかない。
と思う。

もちろん、空気がキレイとか景色がキレイとか、あるいは仕事がたくさんあるとか、そういう環境要因は判断材料として当然大切にしていいと思う。
ただ、一番大切なのはそこで何をするか、どう生きるかという意思やビジョン。
大企業に就職するとか、起業するとかも同じだと思う。




ではまた。