私が大手企業をやめ、生まれ育った地元から縁もゆかりもない土地へ移住してまでスポーツ、そしてクラブを仕事にしたかった理由。
それを改めて書いておこうと思う。
大学を卒業して会社員になった頃、私はとにかく効率的に働くことを追及していた。
なぜ働いているのかと聞かれれば、「食う為」と堂々と答えていた。
仕事を嫌々やっていたわけではない。
会社の理念は好きだったし、同僚・上司にも恵まれていた。
でもその仕事に全身全霊を込めてやっていたかと言われれば、まったくそうではなかったし、それを悪いことだとは思っていなかった。
ただ、仕事をやっていくうちに、認められることも増え、自分なりに自信みたいなものをついてくると、それに伴って仕事量が増え、労働時間も増えていった。
これでは何のために生きているのか分からない、と私は思った。
病んでいたわけではない。
かなり冷静にそう考えていた。
しかしよく考えれば、じゃあ私は何のために生きているのか。
その答えがないのに、労働時間の増加だけを嘆いていても仕方がない。
それでは生活を改善することはできない。
私が生きる理由。
理由というと重いかな。目的という方がいいかもしれない。
それは、「自分が幸せになること」に他ならないと思った。
自分の幸せを考える時に一番分かりやすいのは、「何をしている時が一番幸せか」という自問だと思う。
私は当時、フットサルチームを運営していて、家族との時間を除けばその活動の時が一番幸せを感じるなと思っていた。
でもそれは趣味活動だから、それを一日中、毎日やっているわけにはいかない。
ではもうそれを仕事にするしかないというのが私が出した結論だった。
ただスポーツを仕事にしたかったわけではない。
私は一人でやるスポーツが好きではない。
そこには好きな仲間がいてほしいと思うタイプだ。
だから絶対にスポーツはクラブでやりたい。
それを仕事にしようと思った。
スポーツを広めることができて、それをクラブとしてやる。
私は、自分がよければそれでいいというタイプではない。
自分が幸せになることを考えると同時に私が考えていたのは、「社会としては、私がここで働いていることが最適なのか」ということだった。
勤めていた会社は人気のある企業だったから、そこで働いきたい人は大勢いた。
でもそのほとんどの人はその希望が叶わず、他の会社で働くか、働く場所を得られていないはずだ。
そんな人たちがいるのに、私がここで働いていていいのか。
そういうことも考えていた。
また、ここが私の力を最大化できる場所なのか、ということも考えた。
仕事はできない方ではなかったと思っている。
どちらかというと、できると認識されていた方だと思う。
だからこそかもしれない。
もっとできるのではないかという思いがあった。
自分が好きな分野なら、もっと良い仕事ができるのではないか。
それこそが、社会全体から見たら最適解なのではないか。
少し話が変わるが、私は一人ひとりが自分の力を最大化することが最高のチームワークだと思っている。
みんなで仲良く足を繋いで横並びで走る二人三脚ではなく、一人ひとりが全速力で走り、次の走者にそのままのスピードでバトンを渡すリレーの方が、良いチームワークとしてのイメージが近い。
日本人がみんな、自分が本当にやりたい仕事をやり、自分の力を最大化することで社会貢献をする。
これがチーム日本の最高の形だと私は思う。
先にも書いたように、私はスポーツやクラブというものの価値を十分に認識していたから、その分野で働くことを決めた。
それが自分の力を最大化することだと思うし、社会にとっても私がそこに移る方が幸せだと判断した。
補足しておくが、何も私は社会を幸せにする為にスポーツを広めることが一番良いと考えているわけではない。
それは”私がやるなら”という条件付きで、一番良いと判断したに過ぎない。
仮に社会を良くする一番良い方法なるものが存在していたとしても、私の能力でそれができるかは分からないから、結局私は私の力の最大化しか考えることができなかった。
また、私が大切にしたのは「私自身が幸せになる」だから、とにかく社会を良くする方法を追及したわけではない。
先ほどのチーム日本の最高の形と同じで、日本人一人ひとりがちゃんと自分の幸せを追求することが、結局は良い社会をつくると私は信じている。
一般的に言われている幸せではなく、一人ひとりの幸せの形。
自分だけの価値観に基づいた幸せの形。
私の行動もその考えに従う。
自分の幸せの為に、人生の内の多くの時間をどうしても占めてしまう労働時間に、仕事としてスポーツやクラブを広める活動をする。
そういう判断を私はした。
こういう行動ができる国に生まれて、幸せだなと思う。
もっと貧しい国に生まれていれば、きっと一度手に入れた恵まれた環境をそんなに簡単に捨てることはできなかっただろうと思う。
豊かな国。
それはつまり、チャレンジできる国。
それはつまり、失敗ができる国のことだ。
ではまた。