こんにちは。今日も暖かいですね。でも明日からは寒いとかそうでないとか。健ちゃんです。
さっきテレビを見てました。母親が自分の子供を虐待してしまうことで悩んでいる、みたいな番組です。
部屋にカメラを設置して何日間か撮影したみたいですが、実際に虐待は行なわれていました。甘えてくる子供を叩いたり、子供を何時間も放置したり。
これについて母親自身も悩んでいるわけです。
母親は言いました。
「子供のために何かしなければならない。責任があるし、そうするのが当たり前。でもできない・・・」
父親は言いました。
「僕にも仕事とかでストレスはあるし、適切なアドバイスができない」
人は昔からこうだったのでしょうか?
子育てに正解があれば誰も苦労しません。
それぞれの家庭にそれぞれの事情がある。経済状況や家族構成、両親の年齢など。
だったら自分の家庭の子育ては、自分たちで考えなければならないのではないでしょうか。「考えなければならない」とかいうとまた義務的になって、母親を追い込むことになってしまいそうですが、話はそんな難しくありません。
ようは、他の家のことを気にするなってことです。隣の家の子育てが正解だなんて誰も言ってないってことです。
昔、こんな会話がどんな家庭でもあったはずです。
子供「ファミコン買ってー!○○君ファミコン買ってもらったんだよ!?」
母「よそはよそ!うちはうちでしょ!」
もう一度この精神に戻ってみる必要がありそうですね。「よそはよそ、うちはうち精神」です。
集団で力を発揮する日本人の特性を悪いとは思いませんが、何でもみんなと一緒でなければいけないという考え方は、確実にストレスとなるでしょう・・・。よそはよそ、うちはうちと考えることが大切です。
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【虐待<ぎゃくたい>】
むごく取り扱うこと。残酷な待遇。
~広辞苑より~
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こんな例え話があります。
船が沈没しそうになり、乗客を海に飛び込ませなければならない時、
アメリカ人には、
「飛び込めば、あなたは英雄ですよ」と言えばいい。
イギリス人には、
「飛び込めば、あなたは紳士です」と言えばいい。
ドイツ人には、
「飛び込むのが、この船の規則となっています」と言えばいい。
イタリア人には、
「飛び込むと、女性にもてますよ」と言えばいい。
フランス人には、
「飛び込まないでください」と言えばいい。
そして日本人には、
「みんな、飛び込んでますよ」と言えばいい。
もういい加減ここから脱却しましょう。
隣の人と違っていたっていいじゃないか。人と違うことをむしろ喜ぼう。
今子供を持っている人に言いたい。
あなたの横にいる子供はあなたの子供だ。隣人と同じ育て方でいいはずがないじゃないか。
さあ主体的に、能動的に、自分の哲学を持とう。きっと迷うことはなくなるはずです。
スパルタ?甘やかし?結構じゃないか。そこに愛があるなら何も問題ない。
自分のやり方を貫いてる証拠だ。
間違えたと思ったら反省し、変えればいいだけの話なんだ。
23歳独身男より
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