知ることで見えてくること。 | 栗原健太オフィシャルブログ「“KONG”栗健 #0」Powered by Ameba

知ることで見えてくること。

お久しぶりです。

今年も8月6日。

1年かかってこの日のことを考えているような僕です。

逆にこの日があることで色々と考える機会をいただき感謝してます。



原爆のことをあまり知らない県外の子どもたちがいるように

宮城県に来て広島にいた時には知らなかったことを知ることがあります。

地震後、日々、誰かがひとつひとつ復興へ動いて、それが大きな力となって、今のこの街があるんだと

そんな場所に僕たちを住まわせて頂いてありがたく感じています。



僕はこの日にブログを何年間か書いていますが、

僕は、復興が1番だと思っていました。

それを前提に書いていました。

でも、ある方の話を聞いて

僕はあまりにも安易に、

復興を祈っていたんだと思うことがありました。




地震でお亡くなりになった女性のご遺族の方から聞きました。

「復興、復興、とみんなは言うけど、それが大切だというのは分かっているけど

そこで亡くなった娘がおいてけぼりにされているようで

世の中の動きに心が追いつかない」

ハッとしました。

確かに、復興はしなければいけないし

それを目指すこと、

僕たちが復興を祈ることに間違いはないけど

そういう気持ちの方もいらっしゃるということを

僕は考えなければいけなかったと思いました。



8月6日。

広島は、肌に突き刺さるくらいの暑さと

蝉の声にうんざりするほどの朝だったと思います。

こちらも暑いし、蝉も鳴いてますが

七夕祭りもあり

広島の重い空気を感じることはできませんでした。



僕は、被爆3世の女性と結婚しましたが、

実は嫁の身近にいた最後の被爆者の親族が

昨年の秋に亡くなりました。

その親族は、嫁が「おばちゃん」と呼んでいた祖父の妹さんです。

生涯独身で、嫁の実家で暮らしていました。

嫁が小さい頃は、よく膝の上に座り絵本を読んでもらっていたと言います。

嫁から話を聞きました。



ちっちゃい時は、いつもおばちゃんの膝の上に座って、絵本を読んでもらって。

おばちゃんの足と顔に、きっちり四角いしわしわになった箇所があるから

そこをいつもそっと撫でていた。

そしたらおばちゃんはいつも同じことを言う。

「原爆が落ちて、顔が焼けて、溶けて、ぐちゃぐちゃになってね、
足の皮を切って、顔につけたんよ。」

原爆で亡くなった兄弟や親戚もたくさんいるが

生き残った中で1番ひどかったのが彼女だと

祖父から聞いた。

広島の小学生は夏になると、平和学習をするが

自分が小学生の頃は当たり前のように

被爆体験を聞いて感想文を書いてくること、という宿題があった。

でも、最後まで、彼女から被爆体験を聞くことはできなかった、

四角いしわしわの肌、

それを説明するおばちゃんの声と感触が、強烈に心に残っている。



ちょっと足りないところもあるかもですが、そんなことを話してました。

語り継ぐことが大切なのは当たり前です。

それが1番だと誰もが分かっています。

でも、やはり、被爆者の方が被爆体験を話されること自体が、

勇気がいること、辛い思いを乗り越えられていること、後世に語り継ぐ強い使命を感じられていることを

知っていなくてはいけないと思います。

被爆体験を話せない方も多くいらっしゃること知ると、被爆体験を聞かせて頂けた時

僕たちは感謝するはずです。

そしてその分、僕たちは、その歴史に真剣に向き合うべきだと考えると思います。


アメリカのオバマ大統領が広島にいらっしゃった時

被爆者の方と話され、抱き合っていたのをテレビで観ました。

被爆者の方が何人かいらっしゃいましたが、

その中の方から被爆体験を聞いたと嫁はよく覚えていました。

僕より、被爆者の方や、平和学習を続けてこられた広島の方は、

心に深く何か感じられたのではないでしょうか。

家族の多くを殺され、自分自身も大怪我を負い、

まだ今でも「広島長崎の原爆投下は早く戦争を終わらせるために仕方のないことだった」と思っているアメリカの方もいらっしゃると聞きます。

アメリカの大統領と抱き合った時、被爆者の方は何を考えていたんだろう。

想像して、

今年はそのことを家族で長い時間をかけて話しました。

嫁は今でも時々被爆者の団体の方とメールをして色々と聞いているので

それも聞きました。

十人十色の考え方があるのももちろんですが、知れば知るほど深過ぎて、なかなか言葉にすることができません。

『許す、許せない』

その2択では決してないと思いました。

色んな思いを背負って、長年を過ごし

やっとアメリカの大統領が広島に来られ抱き合う。

僕たちに答えを出すことはできません。

被爆者の方それぞれの胸にそれぞれの答えがある、

娘たちとも、答えを出せないことが答えだということになりました。

そして、今の何もかもが当たり前ではないことを知ってほしいと思いました。

僕自身は毎度同じことを書いてますが

まず、家族みんなが元気で感謝します。
 
そして、仕事は、

周りから見ると、辛いだろう、苦しいだろう、そんな時(今?)も

感謝、好きな野球ができることに感謝して日々とにかく頑張ります。

ベストの努力をして後悔の一切ない1日を積み重ねていきます。

応援してくださる皆様にもいつも感謝です。

ではおやすみなさい。