1人でも多く。 | 栗原健太オフィシャルブログ「“KONG”栗健 #0」Powered by Ameba

1人でも多く。

本当にお久しぶりです。

今年も8月6日、

ブログを必ず書くと決めている日が来ました。

ブログを書かないのか?書いてください

それも言われなくなるぐらい書いていませんが

正直、ファンの皆様に期待して頂いている位置に自分がいないことで

何を書けるのか分からないまま無我夢中で野球をしてきました。

1軍の注目される世界から離れているこの何年かで

考えることはたくさん、ものすごくたくさんありました。


よく言われるのですが

気持ちは腐っていません。

1年前は自分でも腐っていた時があったかもしれないと今では思いますが

今年は気合いも充分!思いっきりやってます。

これからも、ただ、正直に真正面から野球にぶつかって行きます。

今日は9回に代打でまわってきて、同点タイムリー打てました。そのまま逆転勝利!よかった!

これからも、よろしくお願いします。



僕が何年か前から8月6日にブログを書いていることで

たくさん取材を受けさせて頂きました。

この前も、ある新聞の社会面に僕が出ていて驚かれました。

数日前には、京都の修学旅行生が原爆のことを学び、

縁があり、僕に会いに来てくれました。




ただ僕は、山形で生まれ育ち、広島の原爆のことを詳しく知らなかったからこそ

勝手に書いてこれたんだと思います。

僕が前、8月6日は毎年遠征で広島にいれないことをブログで書いたら

オーナーが次の年はその日に広島で過ごせる日程にしてくれました。

平和記念公園や原爆ドームに行き、暗くなって来た時、

灯籠流しを見ました。

なんとなく「きれいだね」と言ったら

「うちのおばちゃんも、毎年灯籠を流すんだけど、灯籠には亡くなった兄弟の名前を書くんだよ。

だから、灯籠のこのたくさんの数は亡くなったたくさんの人達の魂なんだよ」

と嫁に言われました。

僕は、それを聞いて、『きれいだ』と言ってしまったことは無神経だったと思いました。

でも、

『きれいだと思うことは、悪いことじゃない。

それだけ、原爆で奪われてしまった罪のないひとつひとつの魂がきれいだったということ。

だから、これを見て、戦争や平和の意味を考える。』

というようなことを言われました。

僕の知らない広島はたくさんあるんだと、その時初めて思った出来事です。

静かな1日でした。


カープではピースナイターも始まりました。

次の年には、戦後初めて、マツダスタジアムでカープ戦が行われました。

その時に静かな1日を過ごしたい被曝者の方もいらっしゃることを知りました。

そのような方たちにとっては、何も知らないような僕がブログを書いたことで嫌な思いをされたということです。

1年経つごとに、色々なことを知ることで、8月6日のブログを簡単には書けないことも分かりました。

本当は、色々な思いを持っている被曝者の方の誰の気持ちも傷付けたくはありません。


69年経つことで

あの日を思い出す方は少なくなりましたが、

あの日を想うことは誰でも出来ます。



今年、娘が『生ましめんかな』という詩をずっと呟いていました。

学校でならったそうですが

小学3年生がこんな内容の詩を呟いていることに驚きました。

そして、「覚えてるもんだねー」と一緒に呟いている嫁にも驚きました。

広島では、ずっと同じような平和学習が続いているのだと知りました。

県外の、もちろん世界の子供たちにも必要な学習だと強く思います。

広島を訪れることだけでも、意識は変わります。


今年、長崎県の語り部の方に県外から来た子供が暴言を吐いたというニュースを見ました。

真剣に
戦争を知ること
平和を考えること

思春期の子供にとっては格好悪いことだと思ってしまうのかもしれません。

でも、僕が広島で出会った子供たち、

戦争や平和のことになると、真剣な目で自分の意見を次から次へ話してくれます。

その子たちの姿はすごくかっこいいです。

普通の学習では、先生から教えてもらってそれを覚えることで終わります。

教えてもらって自分で考えて、自分の言葉で発言することを小学生の時からすることはとても大切なんだと思います。

この間、まだ原爆のことをよく知らないのんチャン(次女5歳)に、ここチャン(長女9歳)が広島で起こった出来事を話していました。

僕が知らないうちに、娘はちゃんと平和学習を理解していました。

そろそろ原爆資料館に連れて行く年齢。

とても惨く、すごい衝撃を受けると思います。

僕が数年前に初めて行った時、色んなことを考えていると気分が悪くなりました。

でも広島人だとそろそろの年齢だそうです。

知ることは大事なこと、

幼い時受けた衝撃は、考える強さになるんだと思います。


放射能の悲惨さ、広島の人はとてもよく理解しています。

東日本大震災が起こった時、

広島の人はとても心配していました。

でも、山形にいる自分の親も、放射能のことはあまり理解していないのを

嫁も心配していました。

とにかく、放射能を『知る』ことがどれだけ大事なことか、

嫁がブログに書いたところ、

『今、そんな心配になるようなことを書いてどうするのか』

『今は、未来に希望が持てるようなことを書くべきなのではないか』

というコメントが届いたそうです。

僕も驚きました。

あの時だからこそ書いたものだと思うからです。

でも、確かに刺激を与えても申し訳ないと話し合いました。

あれから、何度も、東北では風評被害を受けました。

それこそが、『何も知らない』から起こることだと思います。

今、どんな状況なのか、調べ知ることが大切だと思います。

それから、それをどう判断するかは個人です。

もちろん、その判断には個人差があるということを自分で理解して、周りに押し付けたりしてはいけないとも思います。


僕の広島の知人は、自分が安心して飲める牛乳を知るために、

1社1社電話をして、どんな検査をしているか聞いたそうです。

検査結果をファックスで送ってくれるところが多い中、

「今までもこれからも検査をする予定はない」と言われたところも1社あったそうです。

個人が電話をかけたから、そのような応対だったのかもしれないが

個人が電話をかけたからといって、そのような応対しかできないところの牛乳は飲めないと言っていました。

この話を聞いた時、何かを判断することは、大変だということを知りました。

大変なことが面倒くさかったら、簡単に判断してはいけないことも知りました。


広島の原爆が投下された後も、差別はたくさんあったそうです。

昔、今の日本、世界にはたくさんの種類の『差別』がありますが、

それも知らないから、知ろうとしないから起こることだと

嫁の小学生の時書いた平和学習の文章に書いてました。

そう言えば僕は生まれ育った山形県天童市の歴史を深く知らないし、それについて何か考えることも少ないです。

でも広島の方達は違います。

広島で起こった悲惨な出来事があり、

どんなものやどんなことがあって

今目の前に広がる広島があるかを知っています。

普段忘れることがあっても、1年に1回、8月6日が来ることで

普通に暮らせていることが平和なんだと思い出すことができます。

家族で話し合うことができます。

色々知っているからこそ、広島人は広島が好きな人が多い気がします。


僕は今年の今日、広島にいることはできませんでした。

たくさん悩むことありますが、悩めるのも平和だからです。

もちろん、僕は普段、そのことを忘れてしまうけど、

8月6日にこんなことを考えられるようになったのは広島のおかげです。

だから、全国のたくさんの子供たちに、

ただ、耳で8月6日8時15分に何が起こったか聞くだけじゃなく、

そこから広がる何かを考えてほしいと思います。


1軍にいる選手と比べると、僕がブログを書いても訴える力は小さいかもしれません。

僕は自分や家族や応援してくださる方々のために野球をしていますが、

そう言う意味でも早く1軍の舞台に帰れるよう、努力します。