東北に伝わること。 | 栗原健太オフィシャルブログ「“KONG”栗健 #0」Powered by Ameba

東北に伝わること。

皆様、こんばんは。

僕の今年の8月6日は休日です。

昨年はテレビ番組のカメラと過ごしましたが、今年は家族だけで過ごしました。

平和式典をテレビで見ました。

8時15分、家族で黙祷。

資料館で見た、8時15分で止まった腕時計や、焼けて骨だけになった三輪車が頭に浮かびました。

僕の部屋はエアコンがきいていたけど

外の暑さ、蝉がうるさく鳴いているのは

あの日も同じだったのかと思いました。

松井市長の話の中身には、被爆者の方達の声が入っています。

原爆を落とされ、広島のたくさんの方達が亡くなりました。

家族が次々と亡くなってしまう現実、僕には想像もできません。

今年も今日、嫁の実家のお墓参りをしましたが、近くのどの墓にも『原爆死』と名前、そしてまだ幼い年齢が刻まれています。

それを以前見た時、ただ伝え聞いたり、もしかしたら昔の出来事として捉えていたりしたかもしれない自分がはっとしたのを覚えています。

たった10年ほど前に広島に来て

平和で当たり前のここに、本当に写真で見た恐ろしい光景が広がっていたのか。

僕がそう疑問に思うことこそが、広島の方達が目指してきた復興なのかもしれないと思います。

また、松井市長の話の中に、「広島の方達は原爆を落とされた怒りや憎しみを乗り越えてきた」とありました。

その思いもどれほどのものか僕には考えられません。

怒りや憎しみを感じているよりも、それを乗り越えることがどれほど苦しいのか。

過去の悲しみを感じているより、未来を見ることがどれほど苦しいのか。

東北生まれの僕だから、僕は地震の被災者の方達に広島を知ってほしいと願っています。

山形で生まれ育った僕は、広島に来るまで、広島は遠すぎて何の情報もないし、原爆資料館の恐いイメージもありました。

毎年書いているように、広島の方達が当たり前のように小さい頃からの平和学習で知っている放射能のことも、僕は全く知りませんでした。母も全く知らないみたいなので、やっぱり少し前まで東北と広島は遠すぎたんです。

同じ日本なのに。

でも東北の方達に知ってほしい。目指すべき復興の形が、広島にあります。

東北と広島は遠くない。日本はひとつになったと思います。

今年の平和式典には

原爆投下を命じたトルーマン元米大統領のお孫さんも出席されていました。

これがどんなことであるか、想像してみてください。

『広島』という地や広島の方達の大きな大きなパワー、願い、祈り、思いが僕には伝わりました。

だからですかね、

広島の方達は、県外に行っても広島やカープが好きだから県外のカープファン多い!

広島出身が誇りなんですよね。よく聞きます。

そして一番近くに広島が大好きな広島人がいるからよく分かります。



去年は伝えることの大切さを感じました。

今年はどうか東北に、広島の強さが伝わるよう、僕は願います。

東北出身の僕が野球でがんばることでも何か伝えられると思います。

残念ながら、表でそれを伝えられることが今はできません。

でも、また復活してみせます。

がむしゃらに努力します。

東北人も強い!強いはずです!

もしも、前に進めなくなった時は、

広島を知ってください。

きっと力が出るはずです。


さて、また明日から気合入れていきましょう!