2023年6月11日
初夏、空からは涼雨が降り、僕たちの体温は颯と奪われていきました。
鳥居へと続く石段と、その両側に立ち並ぶ灯篭が遠近感を与え、まるで僕たちを境内へと誘っているかのようです。
気付けば友人は、スマホを手に灯篭に沿って歩きながら動画を撮影し始めていました。
僕も、スマホを鳥居の方向に向けて掲げ、この感動を写真に残そうと様々な方法で撮影を試みました。
現代風の楽しみ方で、この場所が放つ雰囲気を堪能し、満足がいくとゆっくりと鳥居へと向かい始めました。
人気のない森の中は静けさに包まれ、雨が石段を打つ音が心に平穏さを届けてくれます。
一歩ずつ鳥居へ近付きながら、僕たちは言葉を発することすら忘れ、目の前に広がる神秘的な世界へと没入していったのです。
日本最後の桃源郷へ
旅のきっかけはいつだって突然です。ネットサーフィンをしている時、YouTubeで旅動画を見ている時、知人からオススメしてもらった時、色んなきっかけで旅が始まります。
今回の旅との出会いは、ひょんなことから秘境駅に興味を持ち、ネットサーフィンしていた時のことでした。
基本的にいつもお金に困っている僕は、出来るだけ安く行ける秘境駅を探していました。
安く行けるような場所に秘境駅なんてあるのか笑
そんな時、たまたま地元の奈良県で霞ヶ丘駅という秘境駅を見つけたのです。
「奈良県にも秘境駅があるんだな」等とぼんやりと考えながら、よりその駅の詳細について調べていると、
関連記事の中に、何やら中華街の門のような、明らかに"浮いている"存在が目に入ったのです。
その記事をクリックし中身を覗いてみると、それは「生駒新地」と呼ばれる場所のようでした。
また、そこは「日本最後の桃源郷」と呼ばれ、下界とは切り離された異世界のような雰囲気が感じられる場所のようです。
そして、記事を見終わった頃には、僕の「旅したい」欲が漲ってきたのです。
僕はさっそく生駒新地への行き方を調べ、旅の計画を立て始めました。
その計画の内容は、「生駒新地」と秘境駅「霞ヶ丘駅」を散策するというものです。
調べてみて分かったのですが、生駒新地の最寄駅「宝山寺駅」から2駅移動するだけで「霞ヶ丘駅」にアクセスできます。
なんという好立地か。
僕は、万全の準備を整え、友人にも声を掛けた上で、生駒散策の当日を迎えました。
急斜面を上る電車
あなたは、山の急斜面を上っていく鉄道を見たことがあるだろうか。
今回の目的地である生駒新地および霞ヶ丘駅に辿り着くためには、生駒ケーブルと呼ばれる鉄道に乗車する必要がありました。
この鉄道は、車両にケーブル(鋼索)が繋がっており、それをウィンチで巻き上げることで、急斜面を上ることが可能なのです。
生駒ケーブルの乗車駅「鳥居前駅」において、僕たちの目の前に"いた"のは、山の頂上まで真っ直ぐに伸びた急斜面上の線路と、そこを駆け上がる準備をしている猫でした。
なんとも可笑しな見た目をした鉄道ですね。
僕たちはさっそく猫の中に乗り込み、幼少期に戻ったかのような気分になってはしゃいでいました。
鉄道が動き始め、急斜面をどんどん上がっていくと、今この瞬間にケーブルが切れたり、ウィンチが故障するとどうなるのか等と妄想してしまいました。
実際、体感では45度くらいの傾斜があり、高度もかなりのものです。落下する場合、そのスピードはかなりのものでしょう。
これ以上の妄想はやめておきます。
宝山寺駅からの景色
日本最後の桃源郷
生駒ケーブルに乗って5分ほどで、生駒新地の最寄駅「宝山寺駅」に到着しました。
ここからさらにケーブルを乗り継いで、山の頂上まで行くと、かの有名な生駒遊園地があります。
もはや知っている人がどれほどいるのか、現在では廃墟遊園地などと言われる始末です。
宝山寺駅の構内には全く人はおらず、生駒遊園地へと向かう人の姿はもちろんありません。
僕たちは無人の改札を抜け、生駒新地に向けて歩き始めました。
駅を出ると、すぐに下界との雰囲気の違いが感じられます。
少し前までの活気や賑やかさはなく、とても静かで穏やかな空気に包まれていたのです。
非常に心地の良い、僕の好きな世界が広がっている予感がしました。
少し歩くと、僕たちの前には、記事で見たままの生駒新地の門が待ち構えていました。
なんともレトロな見た目をしており、カメラの画角に紫陽花を入れて撮影すると、非常にノスタルジックな雰囲気になります。
この門の「観光生駒」の部分が18時になると点灯し、それによって一帯が「千と千尋の神隠し」のような世界観に包まれるのですが、果たしてその時間まで滞在するのか、しないのか、それも気分次第になりそうです。
さて、入り口で盛大なお出迎えをしてもらったところで、さっそく生駒新地の内部へと入っていきましょう。
門を潜ると、その先には階段がずっと上の方まで続いていました。
下の写真は、僕が生駒新地に興味を持つきっかけとなった場所のものです。
どうですか、この時代を感じさせる景色は。素晴らしいでしょう。
門の先からは、道がいくつかに分岐していて、どこから攻めていこうかと考えましたが、道幅が最も広く、両脇に店が多く構えている通りを選びました。
なんとなく、メインストリートっぽいですからね。
そして、ある程度階段を上っていくと、途中から両側に灯篭が立ち並ぶようになってきました。
そこからは、周囲の雰囲気が一変し、自分達が神聖な領域に足を踏み入れたことを実感します。
それと同時に、この先に素晴らしい景色が広がっていることが直感として感じられました。
事実、階段を上り切った先の景色は、息を呑むほどの迫力でした。
鳥居へと近付いていくと、空からは小雨が降り始め、それにより周囲の厳重さが増したような気がしました。
僕たちは、その場の神聖さに圧倒されながらも、鳥居のもとまで辿り着き、いよいよ鳥居の先の世界へと突入していきました。
鳥居を抜けると、右手側には駐車場、前方には惣門が見えました。
駐車場には想像以上に車が停められており、次々に観光客とおぼしき人達が惣門をくぐり、中へと入っていきました。
僕たちも、その人の波に流されるようにして、寺院の中心部へと迫っていきます。
雨に濡れて滑りやすくなった石段を注意深く上り、2つ目の門となる中門をくぐると、いよいよ寶山寺中心部に到着です。
いざその景色を目の前にすると、思わず感嘆の声を漏らしてしまうほどに素晴らしかった。
1つの境内の中に、様々な建造物が密集し一見乱雑に見えるものの、背後に切り立つ岩壁の規模感が相まって、非常に迫力のある景色を生み出していました。
僕たちはさっそく、周囲の探索を始めることにします。
とは言っても、いきなり目の前の建造物群を見て回るわけではなく、それ以外にまずは見ておきたい場所があるのです。
それが、森の中の石段に沿ってお地蔵さんが立ち並んでいる場所です。
この生駒新地についての記事を見ていた時、僕はその場所の厳重さと神聖さに一目惚れをしてしまったのです。
僕たちは、今いる中心部を離れ、少し脇道に逸れてから、目的の場所を探し始めました。
最初はなかなか所在地が掴めず、境内を彷徨い続けているのみでしたが、ある時にふと森へと続く道を見つけたのです。
僕たちは、その先に目的の場所があるかも分からないまま、奥へと歩いていくことにしました。
道は、人一人がちょうど歩けるぐらいの広さで、周囲には木々が生い茂った森が延々と広がり、本当にこの道で合っているのかという不安だけが募っていきました。
その後、どんな道を歩き、途中に何を見たのかさえ、今となってはほとんど記憶がありません。
ただ、高くて赤い塔の横を通過した記憶だけは残っています。
記憶がこれほど曖昧となると、気が付けば目的地に辿り着いていたと表現せざるを得ませんが、今回はお許しを。
いつしか僕たちの足元は、砂の道から石段へと変わり、僕たちを取り囲む景色も一変しました。
僕たちの行く先だけでなく、視界の至る所に地蔵が立ち並び、厳重さと神聖さに満ちた異世界に足を踏み入れていたのです。
もはやこの場所に、どれだけの数の地蔵があるのか。
僕は、想像以上の景色に大満足し、神聖な空気を胸いっぱいに吸い込み、この場所の雰囲気を全身で楽しみました。
そして、どこまでこの地蔵の道が続いているのか興味が湧き、行けるところまで石段を上ってみることにしました。
それからしばらくは、特に景色の変化はなく、延々と地蔵の視線を感じながら歩きました。
ただ、そんな状況も終わりを迎え、石段を上り切った先には、奥の院本堂および客殿と呼ばれる建物がありました。
周囲を軽く見渡した限りでは、ここが寶山寺の最深部のように見えます。
しかし、さらに奥へと続く道があることを僕は見逃しませんでした。
立ち入り禁止区域でなければ、行けるところまで行ってみるというのが僕のポリシーです。
友人と2人して、「奥の細道のようだ」と言い合った場所を抜け、森の中は完全に僕たちだけとなりました。
その後は、何かを祀った祠のような場所をいくつか見つけたものの、これ以上は進めないと判断すると、元来た道を戻っていきました。