09/03 DAY200(移植後80) 闘病200日目に思うこと | 健太の白血病闘病記~余命半年を生き抜く~ブログ

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余命半年を生き抜く混合性急性白血病患者の闘病記

予後不良タイプで余命宣告を受ける。また、末梢血の白血病細胞(ブラスト)の数が、54万個/μLと、病院の最高記録を大幅に更新した。(もはや、血液機能は失われており、いつ死んでもおかしくない状態だった。)

2月18日は、忘れることが出来ない日、雪降る中、救急車で運ばれ、白血病との闘いが始まった。本日で遂に200日目を迎えた。
これまでの『心の葛藤や心境の変化』を振り返って見ます。

1最初の30日
ある意味(幼若細胞による播種性血管内凝固症候群)で山場だったし、白血病に関する知識も皆無であった為、『直面する死への恐怖』に押し潰されそうな心を、どう支えるかで精一杯だった。
発症率0.05%の病気に何故私が? 予後不良タイプ? 余命は? 治療による生存率は? 治療に耐えられるか? 生きる価値があるか? 再発率は? 社会復帰できる? そもそも何がいけなかった(発症原因)? 運が悪かった? 治療費は払えるか? など、無菌室という閉鎖空間に居ると孤独感と、不安感から、マイナスな事ばかり考え、誰かの顔を思い出すたびに、涙が止まらない、辛い日々だった。

家族、職場の同僚、看護師さんの励まし無くして、この時期を乗り切ることは出来なかったと思う。実際に、10日目頃には、法的に有効な遺書と財産相続について真剣に検討していた。

ある時から、死に備えるのを止め、生き抜くことを考えるようになったのは、励ましに加え、高額医療費を負担する国民(納税者)にも『恩返し』をしなきゃ、それと『両親より先に死んではいけない』という気持ちが大きくなったから。

そこで、毎日の日記(治療経過・データ)を記録し、服用する薬に関する効果・副作用を調べ、近い将来、自分の体に起きるであろう変化を事前に把握して、先生や看護師さんとのコミュニケーションではピンポイントで異変や疑問点を伝えられるように努めた。
また、体の仕組みや便秘解消体操など、自分自身で対処できる事も模索し始めました。


230日目~移植前
この期間は、治療経過も順調で、移植ドナーとなる兄弟の肉体的負担の事で、頭が一杯だった。移植法は多数あり、自分の末梢血、兄弟の骨髄、兄弟の末梢血、他人の骨髄、他人の末梢血、さい帯血から移植細胞を採取出来ることから、それぞれのメリット・デメリットなどや移植までのスケジュール、ドナー保険など調べ、兄の負担や不安の解消に傾注していました。兄弟の骨髄から採取するのがベストで、他はベターな方法(他の方法は拒絶反応や再発率が高いなど多少リスクが高くなる)。
ベストでなく、ベターでも良いと思っていましたが、兄の『1回の移植で病気に決着をつけろ』の一言で、迷いがなくなりました。闘病に集中しきれていなかったのかもしれません。


3移植後~移植後90日
移植後の情報が余りなく、拒絶反応の事だけ予め情報収集していました。
しかし、移植細胞が生着するまでの3週間が地獄でした。大量の抗がん剤投与や放射線照射により、唾液の分泌は止まらない、口、喉の粘膜はやられ、その結果3週間連続、眠らず・食べず・飲まず、胡坐の姿勢で過ごした。
最初の2-3日は若さ故か苦と思わなかったが、いつまで続くか先生も判らず、徐々に苦痛と不安に耐えれず、良からぬ事が頭に浮かんだり、夜に涙を流していた。
人間、ある程度の先が見えていないと、激しく動揺・不安になる事、少しの変化(改善)、ちょっとした目標が支えになる事を知った。
仏教の転生は、前世の記憶は無いが、移植は半生の記憶などを引き継いで、生まれ変わったんだ、と思うと得した気分になりました。仏の教えでは、『苦』から『生』が始まるという。
つまり、『心のありようが『生』の根幹』と言う。
今回の闘病は、自分にとって貴重な体験かもしれない。

体調が良くなったのを契機に、この闘病日記ブログと、地域振興やよりよい社会になるよう自分の考えをツイッターで発信することとした。微力ながら誰かに役立てば良いな、という恩返しを始めました。

拒絶反応(GVHD)は、どのような形で出るか誰にも判らないので、その都度対処し、何か役立つことを、少し勉強する時間を作っていこうと、今は考えている。