やることなすこと中途半端なのはプロ意識が欠けているからだ。
「流れに身を任せる」
ということを「流される」ことと混同してはいけない。
そこにプロ意識がある場合、目指すゴールに行くために流れを見極め利用するのであって、漠然と流されることとは全然意味が違う。
目標だとかゴールだとか、夢だとか、なんとなくそういうことを毛嫌いしたり、疎ましく思う風潮があるようだが、それなしにどこの岸に到着しようというのか。
もしどこかにたどり着いたのなら、それは到着ではなく漂着だ。
それすらも天命だと言うのなら、それはそうかもしれない。
ただし、天命を授かるにはそれに見合う人的器と高いプロ意識が前提だと思う。
崇高なるプロ意識(プロ中のプロ意識)があってはじめて、運命の糸に手繰り寄せられるのだ。
もっと言うのなら、プロ意識がなければ、たまたま漂着したその岸になぜ漂着したのか、その意味すらも見いだせないのだ。