「道州制で社会保障を見直すべし」(26日)で次回に続きを書くとしたが、道州制基本法について2回挟んだので、今回が続きとなる。

 道州制医療論というタイトルをつけたが、寡聞にしてその分野の論文の存在を知らない。そもそも社会保障と地方分権を組み合わせるような学者さんに会ったこともない。

 そこで1年以上前に、社会保障関連に多くの著作がある元日本経済新聞論説委員の渡辺俊介氏に私の道州制医療論を聞いて頂いたことがある。当時の私がお話ししたアイデアは以下のようなもの。

 道州制導入後、各道州でこれまでの医療費を基に、医療需要基準額を割り出す。さらにその後、人口に加え、高齢化率や面積などを勘案して基準額を割り出していく。

 これにより、例えば終末期医療については、以下のようなことが可能ではないか。

 現在、終末期医療において最後の1か月に平均100万円ほどの医療費がかかるとされるが、必ずしも患者の意思が尊重されているとは言えないのが実情だ。

 現場では、人工呼吸器や気管切開、胃ろうといった処置を本人の意向に関わらず行わざるをえない。

 政治も誤った決断を行っている。私が厚生労働大臣政務官をしていた当時、後期高齢者医療制度は政争の具にされてしまった。当時、終末期相談支援料(200点=2000円)を導入する動きがあったが、「高齢者だけに認めるのは差別的」などの感情論で実現しなかった経緯がある。

 そもそも、こうしたことは道州で決めればよい。

 例えば東北地方では、かかりつけ医との信頼関係が深い傾向にあり、3世代同居率も高い。つまり、高齢者本人のリビングウィルについて、医師や家族の同意を得やすい傾向がある。こうした地域では、先行的に質の高い終末期医療が行われる可能性が高い。

 結果として、質の高い終末期医療を提供した上で、節約された医療費を、医療需要基準額に照らして、必要性の高い他の分野に振り向けることができるのではないか。

 渡辺氏も、こうしたアイデアには賛意を示してくれた。

 その後、東日本大震災における東北の人々の様子を見るにつけ、道州制医療論の可能性に確信を深めた。

 国会における厚生労働委員会が、十分に機能していない現状について、以前に書いた。道州議会に厚生委員会を設置し、地域性を生かした医療を議論するほうが、政治の力を発揮できるのではないか。

 政治家であれば、こうした問題を常に考えさせられているはずだ。

 「病院を探してくれ」という陳情は、どの国会議員の地元事務所にもよく持ち込まれているだろう。「90歳を超えたうちのおじいちゃんが、脳溢血で病院に入り、人工呼吸器を付けられて3か月以上になるんですが、次の病院に移るにも遠くだと大変なんです。近くでお願いします」といったものが多い。

 本人も望まないうえに、家族も医療現場も疲弊している。

 私が所属する「尊厳死法制化を考える議員連盟」が先日、法案のたたき台をまとめた。しかし、こうした微妙な問題は、全国一律でルールを変えるより、先行実施した地域のノウハウを全国に広めるほうがよい。